火山の噴火で埋もれたイタリア南部の古代都市ポンペイに近いヴェスヴィオ山の麓で、日本の研究チームが古代ローマ時代の遺跡発掘を続けている。東京大学ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査プロジェクトの岩城克洋・特任研究員らで、その姿は第82回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した映画『ポンペイ、雲の下に生きる』(ジャンフランコ・ロージ監督)でも取り上げられた。彼らは何を目的に発掘を続けるのか。
手弁当で始まった日本の発掘隊の挑戦
ヴェスヴィオ山は、ナポリ湾を見下ろす火山で、数万年前から大規模な噴火を繰り返してきた。最も有名な噴火は西暦79年に起き、ローマ帝国の2つの町、ポンペイとヘルクラネウム(エルコラーノ)が火山灰の下に消えた。
東京大学のチームは、ヴェスヴィオ山の山頂を挟んでポンペイとは反対側の北麓にあるソンマ・ヴェスヴィアーナ(以下、ソンマ)遺跡で2002年から発掘調査を行ってきた。プロジェクトの創設者は、日本における古代ローマ研究の第1人者、青柳正規・東京大学名誉教授(多摩美術大学理事長、元文化庁長官)。
青柳氏は東大大学院在学中の1969年にイタリアに渡り、3年間ローマ大学に留学。帰国後も、ローマ研究を続けるためにイタリア政府に申請し、ポンペイで発掘調査を行う許可を得た。手弁当で、写真の助手を1人だけ伴った小規模な発掘だったという。
古代ローマ遺跡の発掘はイタリアなど欧米諸国が中心で、アジアの国には縁遠い世界。青柳氏も数々の障壁に直面したが、留学時代の友人の助力もあって難関を突破できた。ポンペイでの調査実績をもとに、シチリア、タルクィニアで実績を積み上げ、4カ所目となるソンマにつなげた。
埋め戻された遺跡
ソンマ遺跡発掘調査の目的は、初代ローマ皇帝アウグストゥス(紀元前63~後14年)の別荘跡の発見。地理的には、文献に記録が残る「アウグストゥス帝終焉(しゅうえん)の地」の記述とも一致する。この地で1920年代に地元の農夫が偶然、古代ローマの壁体を掘り当て、考古学者が試掘したところ、建物の柱や彫刻などが次々と発見された。だが30年代に入って、時の首相ムッソリーニが資金をポンペイ遺跡の発掘調査に回すよう命じ、ソンマ遺跡は埋め戻された。
それから約70年を経て発掘調査を再開したのが青柳氏率いる東大チームだった。だが開始後まもなく、建物や壁画の様式、出土品などから、ソンマ遺跡の構造物は2世紀ごろ建てられたと推定されることが分かってきた。西暦472年のヴェスヴィオ山噴火で埋没したものと考えられ、一度はアウグストゥス帝との関係が否定された。
ところが2019年になって、それら建造物の下から別の巨大な建造物が現れた。岩城氏が振り返る。
「一度は諦めて、別の目的で掘っていたんです。それが20年近くたって、最初の目的だった建物の一部とも考えられるものが出てきて驚きました。最初は半信半疑だったんですけど、翌年以降次々と新たな遺構が見つかり、規模も大きくなっていった。少しずつ事実が積み重なって、もしかしたらもしかするぞ、となったのが2024年ぐらいです」
決め手になったのは、新たに検出された建造物に被害を与えていた火砕流が79年噴火時のものであると判明したこと。さらに巨大な浴場の存在を想定させる多連のかまど(現在までに7基確認)が検出され、強大な権力者の別荘であった可能性が高まった。
加えて、古代の文献には、アウグストゥス帝の死後に神殿が建てられたという記録もある。古い建造物の上に別の巨大な建造物が建てられていることは、まさにそれを裏付けるものとなり得る。今後の発掘調査で、ここがアウグストゥス帝終焉の地だったことが証明されれば、世界史上の大発見となる。
現在のプロジェクトリーダー、東京大学大学院総合文化研究科の村松真理子教授は言う。
「地元市民の共感や協力を得ながら、日伊の専門家や文化省とともに進めてきた2002年以来の発掘プロジェクトの経緯自体が非常に魅力的な物語です。現在発掘中のエリアがアウグストゥス帝時代の建築物の遺構であることは、火山学的に証明できました。これからさらに、当時の建築様式や所有者、用途について明らかにするのが目標です」
貴重な災害考古学のフィールド
ソンマ遺跡の一連の発掘は、火山研究においても新たな視点をもたらすものとなった。ポンペイとエルコラーノを埋没させた西暦79年の噴火については、これまでヴェスヴィオ山の北麓・東麓方面にはあまり大きな被害をもたらしていないと考えられていた。地形や風向きの影響で溶岩や火砕流、火山灰が南西方向に流れるためだ。それが、一昨年以降の発掘で相当な厚みのある火山灰が見つかり、火山学の専門家も驚いたという。
「ポンペイやエルコラーノは1回の噴火で埋まって、ほぼそれきりになってしまいました。一方、ソンマ遺跡は何度も罹災(りさい)している。罹災と復興を繰り返すサイクルを研究していくと、さまざまな形の有意義な成果が得られるのではないでしょうか」
ソンマ遺跡は、過去の自然災害と人間社会の関わりを解明する「災害考古学」にとっても、貴重な研究フィールドとなる。
「特に注目すべきは、罹災からあまり間を置かずに復興したという点です。ローマ時代の遺跡は、噴火で罹災すると放棄されてそのままになってしまうことが多い。ソンマでは、古い建物を基礎に使って、新しく建て直したことが明らかになりました」
アウグストゥスゆかりの地であったとすれば、ソンマ遺跡が放棄されなかった理由もさらに説得力を増すだろう。
「ヴェスヴィオ山周辺は古くから今に至るまで人口密度が極めて高い地域です。いつ噴火するか分からないから、政府は新規の住民流入を制限し、引っ越す人には多額の補助金を出しています。でも出ていく人は少ない。それくらい魅力のある土地なんですね。だから何度噴火しても人が戻り、復興したのでしょう」
ドキュメンタリーの名手が注目したもの
そんな火山の麓に暮らす人々の営みを、詩情あふれる映像で切り取ったのが『ポンペイ、雲の下に生きる』。三大国際映画祭のうちベネチアとベルリンで最高賞を受賞した名匠、ジャンフランコ・ロージ監督の最新作だ。
ソンマ遺跡の発掘調査現場に入ったカメラは、ニッカポッカに地下足袋で黙々と土を掘り続ける日焼けした岩城氏の姿をとらえる。次の場面では、プロジェクトを創設した青柳氏が発掘調査の研修に参加した若い学生グループを前に、「研究には作業が必要だ」と説く。こうした場面の連なりに、単なる記録映像にしないロージ監督ならではの視点がうかがえる。
岩城氏も学生時代に青柳氏が率いるタルクィニアの調査に参加したのが最初だった。以来30年以上にわたり、現場で土にまみれ、2000年前の地層を掘り続けている。
「あの言葉には、研究とは『フィールドワークで自ら資料を得てこそ』という青柳先生の信念が表れていると思います」
ここで言う「作業」には、掘るだけではなく、調査情報を記録し、分析することも含まれるだろう。ロージ監督のカメラには、岩城氏の同僚である杉山浩平特任研究員が、調査情報をこまごまとノートに記録していく姿も収められている。先人たちが築いた文明の価値は、こうした日々の地道な作業で後世に受け継がれる。
「僕の年(1970年生まれ)になって、あんなにガッツリ掘っている人は珍しいかもしれない。うちの現場は短期の研修で来る学生しかいないから、自分たちで掘るしかないんです。僕は現場が大好きで考古学を始めたので、今でも掘れるのはありがたいですけどね」
東京大学ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査プロジェクト
東京大学が2002年から継続しているローマ時代遺跡の発掘調査に基づく学際的研究プロジェクト。イタリア南部、ヴェスヴィオ山の噴火によって埋もれた2000年前の記憶を掘り起こし、ローマ史上の大きな謎のひとつに迫る挑戦となっている。数世紀にわたる「罹災・復興・再罹災」のサイクルを一体で追える第一級のフィールドであるこの遺跡は、「初代ローマ皇帝アウグストゥスの終焉の地」である可能性があるとして近年注目されている。
公式サイト:https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt07
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/somma_project_staffs
映画『ポンペイ、雲の下に生きる』
西暦79年、ヴェスヴィオ山の噴火によって消えた古代都市ポンペイ。一昼夜にして火山灰の下に没し、繁栄した街の姿がそのまま残された。埋没した遺跡は長く続く発掘や盗掘によって、元の姿をとどめていない。麓にはナポリの街が広がり、垂れ込めた雲の下、人々の営みが今も続く。子供たちの勉強をみるおじさん。消防署に届く電話。遺跡発掘にあたる東大チーム。博物館の暗闇には女神の彫像が浮かび上がる。ドキュメンタリーの名匠ジャンフランコ・ロージが火山の街の歴史と現在を、美しいモノクロ映像で映し出す。公式サイト:https://www.bitters.co.jp/pompei/
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開中
10/10(土)10:50の回 Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて岩城克洋さんのトークイベントあり
バナー写真:東京大学ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査プロジェクトの岩城克洋特任研究員(撮影:ニッポンドットコム)









