新たなる伝説のために
戦後の台湾は国民党の観光政策のもと、1960年代から米国人、日本人の観光客が次第に増え、華僑からの観光事業投資も増大した。創業者が去った後の『星乃湯』は「逸邨大飯店」と名前を変え、和風のもてなしとタタミ部屋を引き継いで外国人客を惹き付けた。庄太郎が裏山にあった滝の近くに建てた不動明王をまつる祠(ほこら)は現存しており、長らく日本渡来の神がなぜ北投にあるのか不思議がられていた。娘八重子が父の事績の一環として台湾研究者に紹介したことからその謎がとけたというエピソードもある。
1970年代に入ると日本からの団体客による不純なツアーが物議を醸した時期もあったが、北投旅館組合や台北市政府による観光浄化運動が功を奏し、観光地としてのブランド力を取り戻した。そして現在は数十軒の温泉リゾートホテルを擁し、石川県和倉温泉の老舗「加賀屋」が進出するまでになっている。庄太郎が挑戦した北投のリゾート開発は彼が思い描いた以上に実を結んでいると言えるだろう。
ところで閉館後の「逸邨大飯店」はどうなっているのか?台北市在住の温泉評論家広橋賢蔵さんに最近の写真を送ってもらったところ、なんと廃屋寸前になり瓦屋根にはツタが繁茂して建物はトタン板で囲まれている。戦前、上北投のランドマークと称された『星乃湯』の証しは、取り残された看板に小さくその名が残っているだけだ。だが、朽ちてもなお台湾観光の黎明(れいめい)期を駆け抜けた男の気概や大志が伝わってくる。
「祖父とともに夢を実現した当時の従業員の、せめてご遺族とお目にかかりたい・・・そんな気持ちが年々大きくなっています」
剛衛さんはアルバムを閉じながらそう話す。日台双方の子孫の交流へとつながれば、『星乃湯』の新たな伝説となるだろう。伝説は、目に見える実体よりも人々の心の中のドラマに寄り添うものだから。
バナー写真:1929年、完成直後の『星乃湯』玄関前で

