「昭和100年」を振り返る50冊

一億総中流時代の文学:小松左京から渡辺淳一、村上春樹へ大ヒットのエンタメ作品

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米社会学者エズラ・ヴォーゲルによる『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が翻訳出版されたのは昭和54(1979)年のことである。昭和40年代後半から60年代にかけて、絶好調の日本経済は世界を席巻するようになり、空前のバブル時代に突入。文壇では娯楽色にあふれた作品が数々ベストセラーになる中で、昭和は終焉(しゅうえん)に向かう。

「何が世界に肩を並べる日本か、という気持ち」

『日本沈没』、小松左京、KADOKAWA/角川文庫
『日本沈没』、小松左京、KADOKAWA/角川文庫

小松左京(1931-2011)は、昭和36(1961)年に作家デビューし、次々とSF作品を世に送り出す。『日本沈没』(昭和48=1973=年)は発売後、たちまち400万部を超える大ベストセラーとなった。

物語は、現在でも通用する火山・地震学の科学的知識を正しく踏まえたものだ。小笠原諸島にある無人島が、一夜にして海に沈んだ。深海潜水艇の操縦士、小野寺は異端の地球物理学者・田所博士とともに、海底を探索。博士は、日本海溝に不気味な異変が起こっていることを突き止める。

以後、日本各地で地震や火山噴火が頻発し、ついには第2次関東大震災が首都圏を襲い、富士山大噴火に至る。日本列島全体の沈没が避けられない事態となって、政府は密かに国民の海外移住をオーストラリアなど各国に打診するが──。

著者は執筆動機について「日本人は高度経済成長に酔い、浮かれていると思った。あの戦争で国土を失い、みんな死ぬ覚悟をしたはずなのに、その悲壮な気持ちを忘れて、何が世界に肩を並べる日本か、という気持ちが私の中に渦巻いていた」(『小松左京自伝──実存を求めて』日本経済新聞出版社)と記している。

小松は、14歳のときに空襲で瓦礫(がれき)となった兵庫県西宮市で終戦を迎えた。SFの枠を超えた本作には、日本沈没に至る大スペクタクルはむろんのこと、随所に読みどころがある。大災害に襲われたとき、人はどう行動するのか。日本人を受け入れる外国はあるのか。切羽詰まった場面は興味深いもので、今日でも日本を取り巻く状況は変わっていない。

「メディアミックス」で一世を風靡した大ベストセラー

『人間の証明』、森村誠一、KADOKAWA/角川文庫
『人間の証明』、森村誠一、KADOKAWA/角川文庫

今でこそ「メディアミックス」という手法は当たり前だが、森村誠一(1933-2023)の『人間の証明』(昭和51=1976=年)の爆発的なヒットはその元祖であった。出版と映画、音楽がタッグを組み、大々的な宣伝によって観客動員につなげる。相乗効果で原作も大ベストセラーとなり、一世を風靡(ふうび)した。

映画のCMで流れたナレーション「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」は流行語になったが、もとは西条八十(さいじょうやそ)の「麦わら帽子」の詩の一節で、本作の重要なモチーフである。映画は松田優作、岡田茉莉子が主演、ジョー山中が歌った「人間の証明のテーマ」も大ヒットした。

都心の高級ホテルの42階にあるスカイダイニングルームに止まったエレベーターの中で、胸にナイフを突き立てられた黒人の死体が発見される。彼は夜間に人気のない近くの公園からタクシーに乗り、自力でここまでたどり着き、息絶えた。公園で古びた麦わら帽子が発見され、同時刻に立ち去った女性がいた。

パスポートから、黒人はニューヨークのスラム街の住人と判明する。貧しい青年は、なぜ、日本を訪れ、ホテルの最上階を目指したのか、捜査は難航する。登場人物たちは暗い過去と、悲劇に引き寄せられる宿命を背負っていた。

著者は、「今日では親が実子を死に至らしめる事件が頻発している。自分の過去を隠すために、わが子を殺そうとした母親からこのミステリーはスタートする。ある意味では、今日の世情に通底しているような物語である」(文庫新装版のあとがき)と書いている。

男女の性愛を描いた「最後の文士」

かつて銀座に「文壇バー」と呼ばれた店が何軒かあり、夜な夜な、名だたる作家が繰り出したものである。彼らが「文士」と称されていたのは昭和の時代まで。粋な着物姿で銀座を闊歩(かっぽ)した渡辺淳一(1933-2014)は、「文士」に属した最後の作家であった。

渡辺は、北海道の出身。札幌医科大学を卒業後、同大学病院で心臓外科医として勤務、地元の同人誌に寄稿する作家でもあった。昭和44(1969)年、同病院で執刀手術した和田寿郎教授の心臓移植に疑義を唱え、退職。上京して作家生活に入る。

初期には医学に材を得た小説を数々発表し、その後、銀座や京都を舞台にした大人の恋愛小説に軸足を移していく。亡くなるまで書き続けた渡辺のあくなき関心は、男女の「性愛」であった。渡辺文学の集大成が、平成9(1997)年、流行語にもなった『失楽園』だろう。

『化身』、渡辺淳一、集英社
『化身』、渡辺淳一、集英社

『化身』(昭和61=1986=年)は、文芸評論家で50歳を目前にした離婚歴のある秋葉と、銀座のクラブで働く23歳の霧子との出会いと別れまでを描いた物語である。

北海道出身で銀座のホステスになりたての霧子は、田舎のOL風の服装で、「鯖(さば)の味噌煮が食べたい」と言った。しかし、秋葉は原石のような美しさを秘めた霧子を見初め、自分の手で彼女を理想の女性に仕立て上げようとする。秋葉の援助で霧子は洗練され、性の快楽に目覚めていく。

本作の読みどころは、霧子が変貌していく様と、男女の性愛の違いを秋葉の視点で描いたところにある。秋葉は年齢差を気にして霧子との結婚に踏み切れない。やがて霧子は、一人の女性として自立を考える──。

本作は、著者が作家として脂の乗り切った頃に執筆された。銀座で浮名を流した渡辺の素顔は、優しさと包容力にあふれ、男女を問わず人を惹きつける艶(つや)があった。主人公の秋葉はご本人そのものであったと思う。渡辺は、昭和から平成にかけて、間違いなく文壇の第一線で活躍する流行作家であった。

女性の欲望、虚栄心、嫉妬をあけすけに描く

『最終便に間に合えば』、林真理子、文藝春秋
『最終便に間に合えば』、林真理子、文藝春秋

今なお現役の流行作家で、文壇でも一目置かれる第一人者と言えば林真理子(1954-)をおいて他にはいないだろう。コピーライターとして活動していた彼女は、昭和57(1982)年に出版したエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーとなり、小説家に転じる。昭和61(1986)年、『最終便に間に合えば』『京都まで』の短編2作で直木賞を受賞した。

『最終便に~』の主人公は、新進の造花デザイナーとして脚光を浴びる独身のキャリアウーマンである。仕事で訪れた札幌で、かつて深い関係にあったが捨てられた男と再会。食事をし、空港まで向かうタクシーの中で男は手を握る。口説かれて彼女は優越感に浸るが、最終便に間に合うのか。

『京都まで』の主人公は、やり手のフリー編集者。恋愛経験はあるが、今では同業者の女友達とぜいたくで満ち足りた生活を謳歌(おうか)している。ある時、仕事先で京都に住む年下の男性と甘美な恋に落ち、関西に出張するたび逢瀬を重ねる。ところが、彼女の思いはとんだ勘違いであったのだ。

林は登場人物を通して、女性の表と裏の顔、ぜいたくでおしゃれな暮らしへの欲望や、男性に美しく見られたいという虚栄心、同性への嫉妬といった感情をあけすけに描いていく。その時代の流行を取り入れ、あえて通俗的に書き切っているところにリアリティーがあって読者の興味をそそるのである。

しかし林の作家としての才能はそれだけにとどまらず、歴史物や伝記、社会問題へと執筆の幅を広げていく。彼女を知る担当編集者は「若い頃はシャイで人見知りでしたが、好奇心旺盛でさまざまなジャンルに挑戦していった。第一線でいられる彼女のすごみは、貪欲な向上心」と語るのだ。

「僕」は「完璧な耳」の彼女と羊を探し出す旅に出た

昭和の文学の掉尾(とうび)を飾る作家といえば、村上春樹(1949-)ということになる。その作品群は、世界中で翻訳され、毎年のようにノーベル文学賞候補に擬せられているが、ご本人にすれば周囲の期待と喧噪(けんそう)に「やれやれ」「うんざりした」という気分であっただろう。

『羊をめぐる冒険』、村上春樹、講談社
『羊をめぐる冒険』、村上春樹、講談社

村上春樹は早稲田大学文学部卒業後の昭和54(1979)年に書いた短編『風の歌を聴け』と、翌年の『1973年のピンボール』が芥川賞候補となった。この連作の主人公となる「僕」と、故郷の海辺の街の「ジェイズ・バー」で知りあった金持ちの息子「鼠」が続いて登場する長編『羊をめぐる冒険』(昭和57=1982=年)で人気が沸騰する。

短編2作を読んでから本書を手にした方が、物語はより味わい深いだろう。『風の歌~』では、1970年の20代最後の夏を迎えた主人公の「僕」が、「鼠」とともに故郷の海辺の街で過ごし、生い立ちや女の子との出会いを振り返っていく。

『1973年~』は、「僕」と「鼠」の物語が交互に進んでいく。「僕」は双子の姉妹と同棲し、友人と翻訳を専門とする小さな事務所を開いている。一方、「鼠」は、無為な生活を送り、ジェイズ・バーに入り浸っていた。ある日、「僕」はかつて熱狂して遊んだ記憶がよみがえり、今は廃番になっているマニアックなピンボール・マシーンを探し当てることに奔走する。

続く『羊をめぐる冒険』では、翻訳から広告まで事業を拡張した「僕」は、PR誌の表紙に何気なく使った北海道の羊牧場の写真を巡り、やっかいな出来事に巻き込まれていく。浮気が原因で離縁された「僕」には、「完璧な耳」の耳のモデル兼アルバイト校正者兼高級コールガールの21歳のガールフレンドがいる。

ある大物右翼の先生が死にかけていた。彼の秘書から、写真の羊の群れの中にいる背中に「星形の斑紋」のある1頭を見つけるよう強要される。特殊な羊は裏社会を支配する先生の絶大な権力と関係がある。写真は、失踪中の「鼠」から送られてきたものだった。「鼠」は羊の秘密を知っているのか。「僕」は「完璧な耳」の彼女と羊を探し出す旅に出た──。

著者は本作で、長編小説を書き切る鉱脈を探り当てたと思う。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』と続く長編でも、現実と非現実の世界をパラレルに描き分けながら、最後は2つの物語がかみ合うようにひとつの真実に迫っていく。そのミステリー仕立ての展開に、読者は魅了されるのである。

昭和の終わり、人々がバブルの狂乱に翻弄(ほんろう)される一方、そこから距離を置きたいと考える人たちもいた。村上春樹もそうであっただろう。そんな彼の生き様を反映した作品に読者は共感した。「僕には書くべき自分の物語があり、用いるべき自分の文体があった。あとは力をためて、ただ書き進めていくだけだった」(『雑文集』)と著者は記している。村上ワールドは、この後、平成の文学界をリードしていくことになる。

【昭和40年代後半~60年代の10冊】

  • 『日本沈没』(昭和48年)、小松左京
  • 『人間の証明』(昭和51年)、森村誠一
  • 『限りなく透明に近いブルー』(昭和51年)、村上龍
  • 『吉里吉里人』(昭和56年)、井上ひさし
  • 『窓際のトットちゃん』(昭和56年)、黒柳徹子
  • 『羊をめぐる冒険』(昭和57年)、村上春樹
  • 『最終便に間に合えば』(昭和60年)、林真理子
  • 『化身』(昭和61年)、渡辺淳一
  • 『サラダ記念日』(昭和62年)、俵万智
  • 『ノルウェイの森』(昭和62年)、村上春樹

バナー写真:左から渡辺淳一(共同)、村上春樹(AFP=時事)、林真理子(時事)

書評 本・書籍 村上春樹 昭和 小松左京 林真理子