今日は何の日:On This Day in Japan

今日は何の日:3月17日

「サンデー」「マガジン」が同時創刊

1959(昭和34)年 小学館の「週刊少年サンデー」、講談社の「週刊少年マガジン」がいずれもこの日、同時に創刊された。こども向け雑誌で小学館は学年別学習雑誌(「小学一~六年生」)に強みを発揮。講談社も学年誌「たのしい一~六年生」で対抗したが、牙城を崩せなかった。老舗出版社である講談社は、少年誌「ぼくら」「少年クラブ」などの娯楽系雑誌に強みを発揮した。いずれも月刊だったが、週間サイクルで番組が放映されるテレビの影響で、成人向け週刊誌が成功。これに目をつけた小学館が連載漫画中心の少年向け週刊誌発刊を計画した。講談社がライバルの動きに気づいて準備を進め、同着にこぎつけた。キラーコンテンツである連載漫画では、先行したサンデーが手塚治虫、藤子不二雄といった有名作家を押さえた。価格設定でもマガジンの40円を察知し10円安い30円とした。創刊部数ではサンデーに軍配が上ったという。

その他の出来事

1537年(天文6年2月6日) 安土桃山時代の武将豊臣秀吉が尾張国中村(名古屋市中村区)に生まれた。父親は足軽で、当時戦傷して帰農していた木下弥右衛門。幼名は日吉丸。結婚後に木下藤吉郎を名乗り、後に羽柴秀吉。出生日は、かつて天文5年1月1日といわれたが、現在は天文6年説が有力。父親は農民だったとの説もある。下層民で記録がないため出自ははっきりしない。織田信長に足軽として仕え、浅井・朝倉両氏との戦いで功をたて、近江長浜城主となる。

本能寺の変後、明智光秀、柴田勝家をやぶり信長の後継となり天下統一を遂げる。天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣姓を賜る。晩年は、徳川家康に対する警戒心を解かなかった。前田利家に実子秀頼の後見を懇願し、豊臣家の行末に不安を懐きつつ病死した。

1869年(旧暦・明治2年2月5日) 大阪に造幣局が設置された。8月に「造幣寮」と名称が変わり、大蔵省の所属となった。香港造幣局長を務めた英国人キンドルがトップに就き、他に30人の外国人が雇われ建築、機械設備などを指導した。金・銀貨の製造を先行させ、やや遅れて銅貨の製造も始めた。外国人から技術を習得するため学校も設立。74年には日本人職員の技術が向上し、造幣寮の自主運営を求める声も高まったためキンドルらのお雇い外国人は徐々に退職させられた。77年「造幣局」に再度名称変更。

関連記事

1876(明治9)年 政府は太政官指令により、婦女は結婚しても「所生ノ氏(実家の氏)」を用いることとした。夫婦別姓を国民全てに適用することを政府が明示したものの、妻が夫の姓を名乗ることが慣習化していったといわれる。98(明治31)年に成立した民法(旧法)では、夫婦は家を同じくすることにより、同じ氏を称することとした。明治政府は民法で「家」の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦共に「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。

豊臣秀吉 夫婦別姓 大阪造幣局