「再発すれば死」と告げられて

京都府生まれの江島選手は、両親に連れられて3歳からスイミングスクールに通った。小学高学年になると選手養成コースに入り、厳しい練習に明け暮れるようになる。

中学2年に進級したばかりの4月10日に人生が一変した。放課後に友人たちと野球を楽しみ、水泳の練習に向かいプールサイドに立った。倒れたのはその直後だ。もうろうとしながらも、救急車の中で「これで今日は練習をさぼれる」という思いがよぎったと言う。

意識が戻ったのは2日後。気が付くと左半身がまひして動かなかった。

「自分に何が起こっているのか理解できなかった。例えば交通事故なら原因がはっきりしているが、医者からは『おそらく脳梗塞、原因は不明』と言われて…。持病があるとか前兆があったなら納得もできますが、それもなかった。自分の体の左半分がまひしているという信じ難い事態への感情を、どこにぶつけたらいいのか分からなかった」

13歳の少年には、あまりにも過酷な現実だった。「あなたは今から障害者として人生をスタートしてください、ずっと車いすの生活ですと言われても、よく理解できなかった。しかも『再発の恐れがあります。その時は死を覚悟してください』と告げられ、『障害者』『死』という言葉で頭が一杯になった。もう泣くしかなかった」

だが1週間ほど泣き続けて、心の切り替えができたと言う。

「泣いていても病気が良くなるわけじゃないし、自分のエネルギーを無駄に消費しているだけだと思い直した。運動はできなくても日常生活が送れるぐらいにしたいと懸命にリハビリに取り組みました。そのかいあって、左足は万全とはいかなくても、動かせるようにはなりました」

中学2年で復学。その夏、シドニーパラリンピックで大活躍する成田真由美選手(同大会で6つの金メダルを獲得)の姿に刺激されて、パラ選手を目指すことを決意した。高校は水泳部のある私立に進学した。監督に「プールの隅で練習させてほしい」と頼むと、「障害者でも一切特別扱いはしない」と言われた。

「仲間と同じように練習し、同じように大会に出場させられました。もちろんタイムは比較にならないほど遅かったですが。でも、特別扱いされなかったおかげで、自分自身の心根にあった身障者を普通じゃないと思う気持ちは消えたし、甘えもなくなった。友達や恩師に恵まれました」

メダル獲得にかける強い思い

今は1年後に迫った東京大会出場を目指して、体幹トレーニングや練習に励む日々だ。かつてはリンゼイ選手に闘争心をかき立てられてメダルを目指したが、経験豊かな33歳のベテランとして目的意識は変わってきた。

「2020年を機に、障害者の人たちにもっとスポーツに取り組んでほしいと思います。特に水泳は浮力があるので親しみやすいはず。もっと多くの人に興味を持ってもらうためにも、僕が成田さんの活躍を見てパラ水泳に取り組んだように、今度は僕がメダルを取ってそのきっかけを作りたい」

日本社会に障害者スポーツがもっと普及することを願う江島は、東京大会が終わった後の目標も考え始めている。競技生活から退いても、後輩育成など「何らかの形で水泳に関わり続けたい」。まずは、4回目のパラ大会となる東京大会での活躍に期待したい。

注)パラ水泳は、肢体不自由、視覚障害、知的障害など、障害の種類・程度によって21クラスに分かれる。肢体不自由クラスは重度によって1~10まであり、1が一番重い障害となる。泳ぎ方の分類は「S」=自由形、背泳ぎ、バタフライ/「SB」=平泳ぎ/「SM」=メドレー

(本文中敬称略)

バナー写真:2018年10月のアジアパラで獲得した金メダル(100メートル自由形S7)と04年アテネ大会銀メダルを首に掛けた江島大佑選手

インタビュー撮影:花井 智子