映像を喚起する文体

ダルトア 『銃』を翻訳するとき、私が一番意識したのは、フランス語ということもあって、カミュの『異邦人』でした。

中村 『銃』は僕のデビュー作なんですけど、『異邦人』の影響、特に文体の影響がとても強かったです。それも、フランス語から日本語に訳された独特の翻訳調の文体。冒頭の「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」(*1)というのが、『銃』では、「昨日、私は拳銃を拾った。あるいは盗んだのかもしれないが、私にはよくわからない」と、ここまでリズムがほぼ同じなんですよ。その後はだいぶ違うんですけれど。この部分、フランス語の『銃』ではどうなっているんですか?

ダルトア ピッタリ同じにしてます。

中村 そうなんですか!?

ミリアン・ダルトア=赤穂による『銃』の仏語訳『Revolver』(Philippe Picquier刊)の冒頭を読む中村文則

ダルトア 『異邦人』の冒頭の日本語訳は原文に忠実だったので、戻すのも簡単でした。だから『銃』のフランス語版の冒頭はそのままカミュです。フランス人の読者が読んだらすぐ分かりますよ。

中村 それはうれしいですね。僕の作家としてのデビューには、海外文学の翻訳の影響が強くあった。ドストエフスキーの影響も強いんですが、『銃』に限って言えば、カミュの文体というのがあって。それがフランス語でもそうなったというのは面白いですね。

ダルトア ぐるっと1周したわけです。だからといって、あまりカミュに引っ張られすぎないように気をつけましたけど。そのバランスがとても微妙なんです。小説の映画化も、言ってみれば映像への翻訳ですよね?それで必ず「読んでから見るか、見てから読むか」という問いになりますけど、私は職業的に、固定されたイメージに引っ張られてしまうのが怖いので、必ず原作から読むようにしてます。

中村 確かに。映画のプロモーション的なこともあるので、「どちらが先でもいいです」って言うことにしているんですが、作者としては、そりゃもちろん原作から読んでほしいです(笑)。

ダルトア 中村さんの作品の映画化は初めてではないですよね?

中村 これが5本目で、今年だけで3本目です。そのたびに映画の宣伝をやらされる(笑)。

ダルトア ご自身ではなぜそんなに映画化されるのだと思いますか?

中村 こういうのを映画にしたいというやんちゃな大人が映画業界に多いんだと思いますよ(笑)。作品世界をちゃんと理解して映像化してくれる人が日本の映画業界にたくさんいるというのはうれしいことです。

ダルトア 中村さんの作品が映像化しやすいところがあるのかもしれませんね。先ほど映像を意識して書いてはいないとおっしゃいましたけど。

中村 読んでいて映像が浮かぶとはよく言われます。登場人物が何かを思ったとしたら、僕はその思いについて書くときに、どういう場所でどう思ったかを書いて、深みを与えることがある。普通は小説で風景を描写すると長くなってしまうんですが、僕の場合、短い言葉で書こうとする。そうすると人は、読んでいるというより、映像がパッと浮かぶ感じがするのかもしれないです。

『銃』より。左は刑事役のリリー・フランキー ©吉本興業

ダルトア 私は中村さんの鋭い文体が大好きで、訳すときもすごく気持ちがいいんですよ。一番気を使うのは、どうやって訳文を削ぎ落していくかですね。

中村 余計な文章は付けないって決めています。なるべく短い文で多くのことを表現したいと思っていて。本を読むというのは運動だと。どんどんのめり込んで読んでもらうには、だるい文章が邪魔になる。紙に何かを書くというのは貴重なことなんです。紙に載せる文章に無駄はいらない。