変化した国際環境、変わらぬ中国の「原則」
野嶋 ご指摘のように、蒋介石、蒋経国の権威主義時代であれば、台湾も確かに「一つの中国」の土俵に乗っていたのですが、李登輝総統以降の民主化後の台湾では年を追うごとに中国意識が弱まり、1970年代に「一つの中国」が固まった当時の枠組みから台湾社会の現実が大きく乖離する事態になっています。
池田 先日、ウォール・ストリート・ジャーナルで、1970年代にキッシンジャーが訪中した時に外交官として同行したウィンストン・ロード元駐中国大使が「(一つの中国に関する)あの当時の表現は冷戦時代の表現であって、現代であれば、違う形で中台関係を表現するだろう」という内容のことを述べています。私も、その通りだと思います。
今日、台湾で「あなたは中国人であると思うか、それとも台湾人であると思うか?」との質問でアンケートを取れば、圧倒的多数の人々が「自分は台湾人である」と答えるようになっていますね。
台湾で台湾アイデンティティーが強まったことに加え、国際環境も変わりました。1970年代、米中の共通の敵がソ連である中で、中国の「原則」に対する米国の立場の曖昧さは強調されませんでした。日本も同様です。しかし、冷戦も終わり、中国の覇権主義的な姿勢が目立つようになりました。
日本について言えば、1980年代は改革開放の時期で、鄧小平が復活し、日本が中国の経済発展を支援することが中国のためにも日本のためにもなる、というムードでした。「開かれた中国」への期待があったからです。しかし中国で反日教育が始まり、1996年の台湾総統選でミサイルが台湾近海に打ち込まれました。1998年の江沢民来日の宮中晩餐会で「日本人は歴史を忘れるな」と江沢民は天皇の前で歴史問題を声高に主張し、日本人は衝撃を受けました。日本が期待する「開かれた中国」になってソフトランディングするかと思っていたら、どうもそうではなく、膨張主義にますます傾斜しつつあると、中国への信頼が揺らいできました。
ですから、70年代の表現をそのまま使うことが、現在の実態に即しているとは思えません。ただ、これを変えようとすると、中国との間で大きな問題を引き起こしてしまうので、同床異夢のままで収めておく、というのが現在のありようなのです。
中国はこれからも自分たちの解釈をそのまま押し通そうとするでしょう。用心しないといけないのは、中国は交渉術として「自分たちの言っていることと、皆さんの認識は同じですね」と言おうとする。これは中国流の自分たちの土俵の上で物事を進める戦略です。しかし、「一つの中国」は基本的に異なる主張の上に成り立つ同床異夢の世界なので、必要に応じて、私たちも態度を明確に表明することが大切だと思います。
