アスリートからタレントに転身

台湾体育学院での1年間は、土・日曜日も返上してテコンドーの練習に明け暮れた。厳しくも楽しい日々だったと大谷は振り返る。ところが、アテネオリンピック代表選考会の目前でけがをし、大谷は日本代表入りを逃してしまう。環境を変えて出直そう。親友の勧めもあり、テコンドーの本場の韓国で北京オリンピックに向けての再出発を決めた。大谷は母校の大東文化大学と交流提携のあった韓国の啓明(ケミョン)大学に3年生から編入した。啓明大での練習は台中体育学院にも増してハードだった。毎日意識が無くなるほど、基礎練習を徹底して繰り返した。日本の大学選手権で連覇を続けていた大谷は、05年にマカオで開かれた東アジア競技会の58キロ級で日本代表に復帰した。ところが、ここで心に異変が起こる。

提供:夢多

「試合をしている最中に、自分はこれ以上強くなれるのかという疑問がふっと湧いたのです。集中力が切れたのですね。06年の世界学生選手権でじん帯を切って北京オリンピックは諦めたことになっていますが、その前にすでに心が折れていたのです」

スポンサーも一気になくなり、収入も途絶えた。しかし、今更日本に帰るという選択肢は無かった。少年時代から国際大会を転戦し、異国を見て来た大谷は、海外こそが自分の生きる舞台と感じていた。オリンピックで金メダルを取る夢を途切らせたまま帰れないとの思いもあった。大谷が向かった先は、かつて留学で1年間を過ごした街、台中だった。台湾とは「魂の波長が合った」のだ。果たして、台中のデパートで芸能プロダクションからスカウトを受け、大谷の次の目標は「台湾でスターになること」に定まった。こうして、「大谷主水」は台湾でタレントの「夢多(Mondo)」となった。07年のことである。