後世に残る仕事をしたい。だから書籍の出版にもこだわる

一方、山下はこれまでに10冊ものレシピ本を出版している。1年に1冊以上のハイペースだ。台湾の書店の料理書籍コーナーには、MASAの名前の入った料理本の背表紙がずらっと並んでいる。ウェブメディアと書籍の出版は、MASAの料理を広める手段の両輪となっている。しかし、これだけ精力的に出版にこだわる理由は何だろうか。

MASA(提供:日日幸福出版社)

「優れたレシピ本は、50年、100年たっても色あせないものです。ウェブメディアは瞬時の拡散性には優れていますが、やがて多くの情報の中に埋没しやすいという側面もあります。自分は後世に残る仕事をしたいのです。流行を追うのではなく、自分からトレンドを創り出して引っ張っていこうという思いでいます」

はやり廃りの激しい台湾では、むしろ長い目で物事を見ることが肝要であると山下は感じている。自分の直観を信じて次の一手を打ち、何年後かに振り返った時に、その時の一手の意味が分かるような仕事をしたいと彼は言う。

ところで、山下はレストランの厨房で包丁を振るうことは、以前ほど多くはない。彼が仕事場として立つのは、ほとんどが自身のスタジオだ。レシピの研究・開発も「MASAの料理ABC」の撮影も、すべてこのスタジオで行われている。しかも、レシピの決定、食材の購入はもちろん、撮影から編集、動画のアップまでをすべて自分一人でこなしている。では、料理人「MASA」として、山下はいったいどんなメッセージを自分のファンに伝えようとしているのだろう。

「料理することはつらい、面倒だと思っている方に、自分が料理する姿を通じて、実際手を動かしてみれば、実は結構楽しいということが伝わったらうれしいですね。料理はその人の創作表現の一つの手段であり、ストレス解消にも役立つのです」

山下の料理は、食材に対して小難しいこだわりは持ち過ぎないように心掛け、台湾で普通に市民が入手できるものが基本となっている。作り手にとっての敷居が初めから低く設定されているのだ。そして、彼が紹介するメニューも日本の家庭で日常的に食卓を彩る和洋折衷の総菜類が中心となっている。台湾の人々の関心、親しみやすさに十分配慮されているのが特徴だ。これならば自分にもできるかもしれない、作ってみようという気にさせる工夫が随所に見受けられる。

レストランで食事ができる人は、どうしても数に限りがある。より多くの人々に料理の楽しさを知ってもらうためには、料理人として自分の培って来た知識や経験をレシピにまとめ、料理を作る感動をより多くの人々と分かち合うことなのではなかろうか。そうした思いが、山下の料理人としての現在の特殊な立ち位置を育んできた。実際に厨房に立ち、自分で料理を作る一人一人こそが本当の主役であると山下は言い切る。料理人「MASA」とは、市井の人々に料理する楽しみや感動、幸せを伝える「食の伝道師」なのだ。