デジタル化に慎重な日本

日本では、人材最大手のリクルートが、学生の「内定辞退率」予測を断りなく販売していたことが発覚し、ビッグデータ利用に対する不信感を助長した。また、スマホ決済の「セブン・ペイ」は、セキュリティの杜撰(ずさん)さから不正利用が相次ぎ、わずか3カ月で廃止されたことも記憶に新しい。

野村総研の調査(2018年)によれば、日本人は「利便性が高まる等のメリットがあれば個人情報を登録してもよい」という人よりも、「メリットがあっても個人情報を登録したくない」という人のほうが多い。国際比較でも、日本人は、プライバシーの漏洩に不安を感じる人の割合が高いようだ。だが、その慎重さは悪いことではない。

米中の後追いではなくユーザー視点の議論を

米国では、「GAFA」に代表されるプラットフォーム企業が主導し、市場の論理でデジタル経済化が進められている。ユーザーの承認されたい願望や利便性向上の欲求を利用し、購買履歴、好きな音楽、お気に入りの動画、家族や友人の写真など、ありとあらゆる個人情報を吸い上げ、AIによりプロファイリングする。トランプ大統領がビッグデータを有効活用して選挙戦を勝ち抜いたことは知られている。もちろんそれ以前から選挙はデータ分析が重要な要素であったが、現在はビッグデータを用いたマイクロマーケティングの優劣が結果を左右するのだ。

プラットフォーム企業が収集した情報が、政府が蓄積してきた個人情報と融合すれば、強力な監視体制の構築が可能となる。プラットフォーム企業による情報独占に問題はないのか?プロファイリングをどこまで許すべきなのか?情報化のスピードに議論が追い付いていない。

テクノロジーと社会の仕組みは共に進化してきたのであり、人類はテクノロジーの発展に社会の仕組みを適応させる努力を続ける必要がある。例えば、現在各国が開発を競っている「量子コンピュータ」が実用化されれば、デジタル経済のあり方もまた変わってくるだろう。デジタル経済の行方はまだ誰にもわからない。だからこそ、日本や香港はリスクや副作用を慎重に吟味しながら、最適な仕組みを導入するくらいの余裕が欲しい。

米中は、政府とプラットフォーム企業のそれぞれの利害がからみ合う中で、デジタル経済覇権を競い合っている。統治の論理やマーケティングの論理が優先され、自己の情報をコントロールする権利、「自由」や「平等」の実現といったユーザーの視点が希薄なまま、デジタル経済化を推し進めているように見える。

ユーザーフレンドリーなデジタル経済はどうあるべきか? 日本や香港は、やみくもに米中を追いかけるのではなく、デジタル経済の課題解決に向けたアジアでの取り組みをリードする存在を目指してはどうか。

EUはすでに動き出している。個人データ保護を強化する「GDPR(一般データ保護規則)」の動きは、大いに参考すべきだ。

※内容は全て筆者自身の観点に基づく私見であり、何ら外務省及び総領事館の意見を代表するものではない。

バナー写真=sasaki106 / PIXTA