学級雑誌『雲葉』

ここに1943年に台北高校尋常科4年生が発行した学級雑誌『雲葉』のコピーがある。尋常科とは、小学校・公学校を卒業した後の中等教育の段階で、台北高校では毎年約40人(うち台湾人学生は3から4人)が入学していた。

1943年5月『雲葉』創刊当時、台北高校では学級雑誌ブームが起こっており、先輩達が発行しているのに触発され、創刊を決めたという。4年生の5月から高等科に進級する直前の翌年2月までに、合計8号を発行した。手書きの原稿用紙を糸でとじて製本した世界で一冊だけの雑誌を、彼らは「回覧雑誌」と呼んでいた。当時はすでに生活物資が欠乏しており、用紙も印刷の経費もないこともあり、一冊をクラスで回し読みしていたからだった。

『雲葉』現存分。現在、財団法人台湾協会(東京都新宿区)が所蔵。
『雲葉』現存分。現在、財団法人台湾協会(東京都新宿区)が所蔵。
『雲葉』第7号目次(筆者提供)
『雲葉』第7号目次(筆者提供)

表紙をめくると、目次、巻頭言、その後に詩や俳句、和歌、創作小説、随筆、漫画、研究レポートなど、さまざまなジャンルの作品が続く。太平洋戦争が激化していた時節柄、アッツ島玉砕、ガダルカナル撤退、三国同盟などを題材にした作品が目に入る。

軍国主義が猛威を振るう国家体制の真っただ中で彼らが成長していたことを思うと、そうした題材が多いのもうなずける。例えば、「鉄道事故」という随筆では、偶然事故現場を目撃した筆者が、「自分の体は国家に捧げる」大事な体なので、事故などつまらないことで失ってはいけない、事故に遭わないよう細心の注意を払うべきだ、と書いている。時は正に就学中の学生の徴兵猶予が解かれ、学徒出陣が始まった頃。彼らにとって戦争と死は男子として生まれたからには避けがたい宿命で、常に脳裏から離れなかったに違いない。

『雲葉』第7号(筆者提供)
『雲葉』第7号(筆者提供)

しかし、8号全部に目を通し、作品を一つ一つ読むうちに、実は戦争や軍事以外の題材のほうが多いことに気付く。合計8号の『雲葉』紙面には、家族や友との日常、通学や遊びなど生活の情景を捉えたもの、台北の町の公共マナーなど社会問題を指摘したもの、科学や生物、物理などの理系の読み物や、古典文学などの本を読んで得た知識の披歴や感想を書いたもの、未来の街並みを想像したもの、架空の人物を生み、滑稽な物語を編んだもの、人間とはいかに生きるべきか、自分たちの頭脳はどう社会に役立たせるべきかを論じたものなど、戦争の匂いをほとんど感じさせない、少年らしいみずみずしい感性や好奇心、エリート候補生としての使命感や社会的関心旺盛な作品に満ちていた。

手書き原稿をそのままとじているので、一人一人の筆跡のクセや筆圧なども感じられ、筆者の息遣いまで伝わってきそうだ。誤字の上に紙を貼って訂正している箇所や、回覧の途中、問題がある記述だと級友に指摘され、墨で黒く塗りつぶした跡が残っている所もある。絵の得意な生徒は、動植物や人物を絵具で描いて投稿しているが、75年以上たった今も、絵具の色はあせず、鮮明に残っている。

『雲葉』第5号表紙と目次(筆者提供)
『雲葉』第5号表紙と目次(筆者提供)