銅板を槌(つち)で打ち起こし、味わい深い茶器や酒器を作り出す鎚起銅器(ついきどうき)。200年以上の歴史を持つ玉川堂(ぎょくせんどう)は、新潟県燕市の金属加工産業のルーツともいえる。
価値を高めるために工場を開放
「あまり詳しく取材しないでくださいね」
鎚起銅器の老舗・玉川堂燕本店を訪ね、番頭の山田立(りつ)さんに挨拶をすると、いきなりそう言われた。
「玉川堂の商品はすべて手作りで、職人も21人と少数のため、大量生産はできません。おかげさまでお客様からの評判は良いので、あまり宣伝をしたり、販路を広げたりするつもりもありません。なぜ取材をお受けしたかというと、多くの方に工場(こうば)へ来てもらい、われわれがどれだけ手をかけて一つひとつの製品を作っているのかを見ていただきたいからです」
玉川堂の工場は、営業時間ならいつでも、予約なしで見学ができる。それは、鎚起銅器の価値を知ってもらうのが目的。まずはその製作過程を、見学者用のサンプルで見てほしい。1枚の銅板を木槌で打ち起こした後、金槌で叩いて縮める「打ち絞り」という作業に膨大な時間と労力を掛け、立体的な形状に作り上げていく。
「うちのやかんは、注ぎ口部分を後から取り付けた物でも5万円以上します。1枚の銅板からやかんの先まで打って作った『口打出(くちうちだし)』だと50万円くらいになるのです。実際に商品を見てもらえば、その価値を感じてもらえるでしょうが、工場での手間をかけた作業を見れば、より値段に納得していただけると思います。すでに鎚起銅器を持っている方は、より愛着を持って大切に使ってもらえるようになるでしょう。だから、記事を読んだ人が“工場に来た気分”になられては困るので、あまり詳しく書かないでくださいと言ったんです(笑)。ぜひ一度、直接工場に足を運んでください」(山田さん)
歴史が育んだ独自の技術と道具
工場の中は、「カンカンカン!」という、金鎚の甲高い音が休みなく鳴り響く。職人は耳栓をしているが、ベテランの中には「高音が聞こえづらくなった」という方が多いという。
工場の壁面や柱の周りにずらりと並ぶのが、銅器を引っ掛ける「鳥口(とりぐち)」という玉川堂自作の道具。これを「上がり盤」と呼ばれる、数カ所の穴を開けた木の切り株のような台に差し込む。そこに腰掛けた職人が、鳥口を金槌の台として、銅器を鍛え上げていく。工程や器の形状によって使い分けられ、一つの製品を作り上げるのに、20〜30種類も利用する。玉川堂には、金槌が約200、鳥口は約300もの種類があるという。
銅は一度火を入れると、冷めても柔らかさが持続する。しかし、叩いていくと縮んでいき、どんどん固くなっていく。そこで、炉の熱を使って柔らかくする「焼き鈍(なま)し」という工程を挟む。そして、叩き、また焼き鈍し、また叩くことを繰り返して、美しい銅器を形作る。
玉川堂の商品は、バリエーションに富んでいる。銅器の表面は、金槌で叩いた面を広めに残した大槌目や、細かい金槌で文様を付けた物、彫金を施した物などがある。着色も美しく、銅本来の色を生かした物から、硫化カリウムなどの液に漬け込む独自の技法を用いた物、錫を焼き付けた物など多彩だ。
こうした鎚起銅器の技術は、もともとは18世紀後半に仙台から来た職人によって伝えられた。燕付近には、間瀬銅山(まぜどうざん、現・新潟市西蒲区)と木炭の産地である下田郷(しただごう、現・三条市)があり、『技術、材料、燃料』が揃っていたために発展していった。そして、今では燕だけで継承されている。その伝統を守ることは、「非常に難しいこと」だと、匠長の玉川達士(たまがわたつし)さんは言う。
「伝統工芸というと、『昔と同じ作り方を続けているだけ』と思われがちです。でも、そんな簡単なことではありません。例えば、もう間瀬銅山は閉山し、今は南米産の銅板を輸入して使っています。同じ作り方をしたくても、長年使っていた材料がなくなったり、使い慣れた道具が生産終了になったりします。代用品や新しい道具を世界中から探し、それに合わせて製法を調整していかないと伝統工芸は守れないのです」









