「象徴としての務め」昭和天皇を模範に

②即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

陛下は、平成2年(1990)11月12日、「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」において「御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い」と述べておられる。

これはまさに「誓い」であるから、即位以来それを実践するために「日々模索し」続けて来られた。決して容易なことではなかったに違いない。

戦後の「日本国憲法」では、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と位置付けられ、その役割は第四条に「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と限定されている。しかし、父君の昭和天皇は単に「国事行為を行う」だけでなく、日本国を代表する象徴として、また日本国民の統合を表す象徴として、することが煩わしいと認められることを数多くやってこられた。

それゆえ今上陛下も、まず「伝統の継承者として」父君がやってこられたことはできるだけ「守り続ける責任」を果たすとともに、日進月歩の新たな日本と世界の中にあることを自覚して、皇室自身がどうしたら「伝統を現代に生かし」ながら、「いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていく」ために、何をすべきか何ができるかを考えつつ「象徴としての務め」を積極的に果たし続けてこられたのである。

③そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。④私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

⑤こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

今上陛下の30年近い実績は周知の事実であるが、平成15年(2003)と同24年(2012)、2度も外科手術を受けられ、体力の低下も感じられた中で思われたことが、特に④⑤に述べられている。

この中で、「人々への信頼と敬愛」という表現は、昭和21年(1949)元旦に公表された「新日本建設に関する詔書」(いわゆる天皇の人間宣言)の中の「朕(昭和天皇)と爾(なんじ)等国民との紐帯(ちゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ」との精神を受け継がれたものといえよう。