2026年度後期のNHK朝ドラ「ブラッサム」主人公のモデルとして再び脚光を浴びている作家・宇野千代(1897~1996)。着物デザイナーやファッション雑誌編集長など多彩な顔を持ち、多くの才能ある男性との恋愛でも注目された。波乱の生涯で宇野が追い求めたものとは何だったのか。
作家、着物デザイナー、実業家…時代を席巻
宇野千代という作家がいた。1897(明治30)年11月に山口・岩国に生まれ、1996年6月、98歳で生涯を閉じるまで、明治、大正、昭和、平成の四つの時代を、ほとんど走り続けるように生きた。
桜の花、料理、マージャンが大好きで、着物デザイナーとしても活躍した。日本で最初のファッション誌『スタイル』を刊行する実業家でもあった。なんども結婚し、別れ、そしてすぐに恋に落ちた。華やかな容姿、歯切れのよい言葉、にぎやかな言動。そして『色ざんげ』『おはん』『風の音』『刺す』『雨の音』などの小説。自らの歩いてきた道を描いた自伝やエッセイも時代を席巻した。まさにスタンダールの「生きた、書いた、恋した」そのままの生涯だった。
もっとも強い印象を残している宇野千代の姿といえば、ミリオンセラーとなった自伝『生きて行く私』(1983年)から始まる熱狂的なブームのなか、どんな困難も前向きに転化させて、幸福を語るにこやかな姿だろうか。ブームはバブル期を通して続いた。92年、東京・日本橋高島屋百貨店で開かれた95歳の記念文学展「宇野千代展――私は幸せ、昔も今もこれからも」に押し寄せた人波は、テレビ中継されてニュースとなった。求められた色紙に、「何だか私 死なないような気がするんですよ ははははは」と書いたのもこの頃である。作家というより、いかなる時代も自由に自分らしく生きることを教える幸福教の元祖のような魅力、華麗な恋愛の数々、着物デザイナーとしての活躍――すべてがひとつになって宇野千代を時代の寵児(ちょうじ)とした。
千代は作品に、故郷について、生家について、父、母のこと、青春、従兄(いとこ)との14歳の結婚、さらにその弟との同棲(どうせい)・結婚、作家デビュー。尾崎士郎、東郷青児、北原武夫など愛した男たちとの日々と別れ、『スタイル』のこと、実業家としての栄光と破滅、多額の借金、人生で建てた13軒の家について、さまざまに書き込んだ。その時々の時空から照射される過去は、幾重もの層として重なり、万華鏡のように色彩を変え、やがては境を溶かして宇野千代という作家を発光させた。
乾いた眼差しに垣間見えた「生への不安」
私が宇野千代を初めて訪ねたのは93年春、南青山のマンションだった。その年の9月に2週間、東武百貨店池袋店で開かれる「長谷川時雨と『女人芸術』展」への協力をお願いするためだった。劇作家・長谷川時雨が主宰した『女人芸術』(1928~32)に、千代もかかわっていた。広いリビングには岡田三郎助の描いた少女像が掲げられ、谷崎潤一郎から譲られた朱塗りの箪笥(たんす)や、桜の意匠を施したソファーが置かれていた。『人形師天狗屋久吉』で有名なお弓人形に歓声をあげると、宇野千代がうしろに立っていた。
濃紺に無数の桜の花びらが散る着物に、同じ反物で作ったちゃんちゃんこ。お洒落でどこか愛らしい宇野千代の姿にたちまち魅了された。緊張しきっていたのに、次の瞬間、宇野千代の世界にすっぽりと入り込んでいた。
「ここでマージャンもするし、執筆もする、ご飯もいただくのよ」――紫檀(しだん)の大きな座卓の上には文箱(ふばこ)が置かれ、その中には、丁寧に削られた大小さまざまな鉛筆が50本近く収められていた。当時96歳。展覧会は大成功を収め、宇野千代も秘書の藤江淳子さんとともに足を運んだ。長谷川時雨と『女人芸術』が市民権を得た画期的な展覧会だったが、宇野千代のコーナーにはいつも人だかりができていた。かつては批判の的であった四度の結婚も、毀誉褒貶(きよほうへん)に満ちた私生活も、いまやその自由な生を裏づけるものとして喝采を浴びた。
宇野千代の愛も、別れも、強烈だった。彼女にとって愛するということは、その人が経てきたすべてを受け入れ、自分のものにすることだった。その人の家族も、交友も、身につけてきた知識や体験も、時には、かつて愛した人の記憶さえも、まるごと受け入れることだった。相手のやりたいことを掬(すく)いあげ、先回りしてかなえていくことが、千代には喜びだった。
けれども、そうした愛の強さに、人はおそらく耐えられなくなる。四度の結婚生活が破綻したのも、千代の愛があまりに深く、濃密だったからではないか。別れた男たちは、その後、それぞれに家庭を築き、結婚生活を全うしている。千代が求めた愛と、彼らが求めた生活とは、どこかで違っていたのだろう。
さらに千代は最後には、作家であることを何よりも求めた。2人で暮らす家を建て、大勢の人の賑わう中で、突然に自分の居場所を探す。夫や友人に尽くし、料理も酒もふるまったが、ふと自分が作家でいる場所がないことに気がつく。ペンと原稿用紙、わずかな着替えをもって、いつでも千代は家を出る。親戚の家や農家の離れ、温泉宿で、原稿に向かう。書きあがった時には、夫にはぬきさしならない関係の女ができていた。のたうちながら、千代は次にすすむ。
愛し、傷つき、別れ、身体に刻み込まれたモラル
千代の文学のかたちも、愛した男によって変わる。最初の小川未明は、恋愛の対象というより尊敬する作家だったが、未明の指導で「墓を発く」「巷の雑音」「人間の意企」などの社会主義的色彩の強い作品が書かれた。尾崎士郎との関係は、文壇の交友を広げ、私小説を含めた自然主義文学を学び、初期の作品集『新選宇野千代集』に結実した。
画家・東郷青児との恋は、さらに強烈だった。東郷を通して千代はパリを知り、最新のファッションを知り、そこに生きる女性たちを知った。文学もまた、モダニズムの時代へ入っていく。「老女マノン」『罌粟はなぜ紅い』、さらに東郷青児の心中未遂事件をそのまま『色ざんげ』にまとめた。東郷をモデルとしたパリ帰りの洋画家と3人の若いブルジョア娘との恋のありようは、戦争に傾いていく世相のデカダンを思わせた。東郷との出会いがなかったら日本版『ヴォーグ』を目指した『スタイル』の出版はなかったことだろう。
作家で都新聞の記者だった北原武夫からは、文学を貫くモラルというものを学んだ。これは、単なる「模倣」などではない。全身全霊で人を愛することのできる人間だけが、その人の持っているものを、深く受け取ることができる。そして千代は、一度身につけたものを捨てなかった。社会主義も、リアリズムも、モダニズムも、その後に手にしたモラリストの姿勢も、すべてを自分のなかに残していった。それらが幾重にも重なり、やがて宇野千代だけの文学となった。モラリストの文学といっても、北原武夫のモラリズムとは全く異なる。文学理論によって積み上げられたモラルではなく、愛し、傷つき、別れ、また生きるという長い人生のなかで、身体に刻み込まれたモラルだった。
『人形師天狗屋久吉』『おはん』『風の音』『刺す』『雨の音』、そして『生きて行く私』にまで、その姿勢は貫かれている。ドナルド・キーンによって翻訳もされた『おはん』は、岩国を舞台に、妻おはんと芸者おかよとの間を揺れ動く優柔不断な男のひとり語りである。語りの向こうに、人形浄瑠璃の太棹(ふとまさ)の音が嫋々(じょうじょう)と流れ、いつのまにか読者は、自分の内のおはん、おかよ、男と向き合うことになる。
小さな世界から広がる人間の奥深さ
宇野千代の文学には、歴史も、社会も、世界も、思想も、自然や宇宙も、日本の古典文学も、ほとんどない。主人公の男女を軸に、家族や、ごく狭い交友関係が描かれる。物語は、その小さな世界で起こり、そこで終わる。それなのに、その世界は果てしなく広がっていく。私たちは、そこで起こったドラマに夢中になり、いつしか人間というものの深さと豊かさ、その怖さと悲しみに打ちのめされる。目には見えない「こころ」の襞(ひだ)の奥にふれてしまう。
その作品を追いながら、痛みと怖さに眠れない夜を過ごした。私にとって宇野千代はそうした作家だった。
宇野千代展―100年の旅人―
- 会場:日本近代文学館(東京都目黒区駒場4-3-55)
- 期間:2026年11月21日まで=日・月曜休館
- 時間:午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
- 観覧料:一般500円、中学・高校生100円
- アクセス:京王井の頭線「駒場東大前駅」西口から徒歩約7分
- 展覧会公式HP:宇野千代展―100年の旅人―
没後30年 宇野千代展―わたしと生きて行く私―
- 会場:世田谷文学館(東京都世田谷区南烏山1-10-10)
- 期間:2027年3月28日まで=月曜休館(ただし2026年11月23日、2027年1月11日、3月22日は開館し、翌11月24日、1月12日、3月23日は休館)、年末年始(2026年12月28日~2027年1月4日)と館内整備期間(2027年2月15日~23日)は休館
- 時間:午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
- 観覧料:一般220円、高校・大学生170円、65歳以上・小中学生・障害者手帳保持者110円
- アクセス:京王線「芦花公園駅」南口徒歩約5分
- 展覧会公式HP:世田谷文学館 後期コレクション展 没後30年 宇野千代展―わたしと生きて行く私―






