日本は戦後に制定された憲法を一度も改正したことがない。改正をめぐる議論で最大の争点となってきたのは、「戦力不保持」をうたう第9条の扱いだ。与党自民党は9条に自衛隊の存在を明記する改正を提唱しているが、国内世論との温度差は否めない。
政権の改憲機運と世論との温度差
日本国憲法は11月で公布から80年を迎えた。高市早苗政権は、憲法9条の改正に向けた動きを強めようとしている。
自民党と日本維新の会は、昨年10月の連立政権発足時に、すでに9条改正に関する条文起草協議会の設置で合意していた。今年2月の衆院選では、自民党が単独で総議席の3分の2を超え、それと対照的に、憲法改正に消極的な諸政党は軒並み議席を大きく失った。もとより改憲を宿願としてきた高市首相が、近いうちの発議に向けて、強い意欲を示すのも当然の状況と言える。
一方、こうした政界の動きとは対照的に、国民の間で憲法改正が優先度の高い政治課題となっているわけではない。朝日新聞社と東京大学の谷口将紀研究室が今年3~4月に実施した調査では、「もっとも優先的に取り組んでほしい政治課題」として、「憲法(改憲・護憲)」を挙げたのは1%にすぎなかった。また、NHKが4月に行った調査では、国会での憲法改正論議について「憲法以外の課題を優先すべきだ」が52%に上り、「憲法改正の議論を優先すべきだ」は24%にとどまっている。
9条に自衛隊の根拠規定を追加する自民党案について、賛成多数となっている調査もある(3~4月の読売新聞調査で賛成60%)。だが、前述の調査結果を踏まえれば、こうした賛成回答は、改憲案が提示された場合の支持を示すものではあっても、国民がその実現を自ら積極的に求めている証拠とは言えない。
なぜ9条改正の必要性を感じないのか
なぜ、国民の9条改正への熱意は、政界ほど高まらないのだろうか。
ひとつの理由として考えられるのは、多くの有権者が、現行憲法の下でも日本の安全保障政策は十分に実施できると考えていることである。
朝日新聞が2022年に行った調査によると、現在の自衛隊について「憲法に違反していない」と答えた人が78%に上り、「違反している」の14%を大きく上回っている。自衛隊がすでに合憲であると考える人にとっては、その存在を憲法典に新たに明記することに、差し迫った必要性は感じられないだろう。
もうひとつ注目したいのは、9条の今後の扱いについての回答である。今年の読売新聞の調査によると、「解釈や運用で対応するのは限界なので、9条を改正する」は38%となっており、「改憲派」は(決して少なくはないものの)多数派ではない。一方、改憲を選ばなかった回答者に目を向けると、「9条を厳密に守り、解釈や運用では対応しない」が12%にとどまったのに対し、「これまで通り、解釈や運用で対応する」は43%に上った。この結果からは、9条の改正を求めない人々が、必ずしも条文の厳格な運用を支持しているわけではないことがうかがえる。
改正消極派=「平和憲法」への愛着とは言えず
では、9条の改正に積極的でない国民が多いことは、日本人が「平和憲法」に強い愛着を持ち、その理念を守ろうとしている証拠なのだろうか。
この点について、筆者は疑わしいと考えてきた。自著『憲法と世論』(筑摩書房、2017年)で憲法関連の世論調査を幅広く分析したところ、そこから見えてきたのは、日本人が必ずしも一貫して9条による厳格な軍事力の制約を支持してきたわけではないという事実である。
戦後の安全保障政策の歴史を振り返っても、国民は政府による政策転換を繰り返し受け入れてきた。自衛隊の創設(1954年)当初、その合憲性は今日ほど広く認められていたわけではない。1990年代に始まった自衛隊の海外派遣についても、2010年代半ばの集団的自衛権の限定的な行使容認についても、事前には強い反対論があった。しかし、そうした政策が現実に実施されると、国民の意識もその都度、容認する方向に変化していった。
今年の衆院選で、「ママ、戦争止めてくるわ」とのSNS投稿に共感を示した党派が軒並み敗北したのも示唆的である。少なくとも、従来の「護憲リベラル」勢力が掲げてきた「平和主義」に基づく安全保障政策が、現在の日本社会で広い支持を集めていると見るのは難しい。
ここでいう平和主義とは、単に戦争が起きないことを望むという意味ではない。自衛隊の活動や軍事力の行使に対する、9条に基づく厳格な制約を支持するという意味である。
多くの国民は平和を望み、そのために自衛隊や日米同盟が必要だと考えているのだろう。そして、そのような防衛体制を整える際に、9条の文言が障害となるべきだとは考えていない。国民が9条改正に積極的でないことは、必ずしも9条による防衛力の制約を強く支持していることを意味しないのである。
60年前の警告、憲法の「規範力」の低下
こうした日本人の憲法意識は、決して新しいものではない。憲法学者の小林直樹は、1968年に刊行された『日本人の憲法意識』(東京大学出版会)の中で、当時すでに「自衛隊の合憲論と必要論がかなり目立って増大している」(45ページ)と指摘していた。小林が懸念したのは、国民が9条改正を支持するようになることだけではなかった。むしろ、9条の条文が維持されたまま、現実の軍備拡張が進み、国民がそれを受け入れていくことだった。
小林は、当時の世論動向を踏まえ、9条が「条文として保持されえても、変質を免れない」(48ページ)と警告した。さらに、国民が防衛力増強をなし崩し的に容認するならば、9条は現実の安保政策を規制する力を失い、「無意味な空文」と化す危険があると指摘したのである。
それから約60年が経過した。9条の条文は一字一句変わっていない。しかし、自衛隊の活動範囲や能力は当時とは比較にならないほど拡大し、多くの国民がその現実を受け入れている。
いわゆる「護憲派」は、この間、9条が改正されなかったことを肯定的に評価するかもしれない。だが、小林が恐れた事態は、まさに条文が変わらないまま進んできたのではないか。憲法典の字面が変わらなかったからといって、その規範としての実効性が維持されてきたとは限らない。
立憲主義が重視されていない?
ここから、より根本的な問題が浮かび上がる。
近代憲法の最も基本的な役割は、国家権力を制限することである。政府は憲法の許す範囲で権力を行使し、憲法によって禁止されたことは、たとえ(政府が見るところ)政策上の必要性が生じたとしても実施できない。この「立憲主義」の原理を担保することこそ、憲法の存在意義である。
ところが、日本では、多くの国民が憲法をそうした国家権力制限のルールとして捉えていない可能性がある。
筆者が以前実施した意識調査では、「政府は、現実の必要に応じて、憲法の文言にとらわれず柔軟に政策決定すべき」と考える回答者が多数を占めていた(「"非"立憲的な日本人」『中央公論』2021年12月号)。今日の日本人は、右派か左派か(いわゆる「改憲派」か「護憲派」か)という立場の違い以前に、近代憲法の機能ないし立憲主義という考え方自体を必ずしも重視していないようなのである。
こうした観点からすると、日本において憲法を議論する際の焦点は、いかにして立憲主義を立て直すか(あるいは確立するか)という問題に、まず置かれるべきであろう。
この点について、むろん、現行9条の解釈・運用をより厳格な方向に見直すという(平和安全法制を廃止にするといった)選択肢もある。しかし、それとは別に、憲法改正によって立憲主義を強化する道も考えられる。例えば、現実に存在する実力組織・自衛隊を憲法上明確に位置づけ、その権限や活動範囲、民主的統制の仕組みを定めるための改憲論がありうる。これは、自衛隊の活動をより自由にするための改憲とは、目的が異なる。むしろそれとは逆に、軍事力を憲法によって統制するための改憲、いわゆる「立憲的改憲」である。
こうした改憲論を、憲法典を修正するという理由だけで否定することは、立憲主義の観点から必ずしも適切ではない。リベラリストが本当に恐れるべきなのは、憲法の文言が変わることそれ自体ではなく、憲法が国家権力を拘束する実効的なルールとして機能しなくなることのはずである。むしろ、現実に存在する軍事的組織をどのように統制するかという問題は、立憲主義を重視する人々こそ真剣に検討すべき課題だと言える。
「軍国主義か平和主義か」を超えて
もっとも、現在の日本の9条改正論議では、立憲主義的な問題意識が、必ずしも前面に出ているわけではない。例えば、自民党の改憲案は、9条に自衛隊の根拠規定を追記しようとするものである。同党は、この改憲の意義について、自衛隊の位置づけの明確化にとどまらず、「国防体制の強化」にもつながると説明している(衆院憲法審査会、2026年6月18日)。他方、この改憲論では、自衛隊の権限や活動範囲を憲法によってどのように制約するかという問題は、中心的な論点となっていない。
もちろん、安全保障政策のあり方は重要な政治課題である。しかし、国防体制を強化するために憲法を変えるという説明が強調されれば、護憲リベラル派から平和主義の後退だと警戒されるのは必至である。また、外国からも、日本の改憲の動きを軍国主義の復活と結びつけるような批判を招くことになりかねない。
しかしながら、以上が現在主張されている改憲論のすべてというわけでもない。例えば国民民主党は、政府による憲法解釈の積み重ねによって、9条が現実の国家権力を規律・統制する力を失いつつあることを問題視している。同党は、9条の規範力・統制力を回復することを改憲論議の重要な課題として掲げてきた。
その問題意識は、従来の保守的な改憲論とは異なる。問われているのは、自衛隊に何を新たに認めるかということだけではなく、その活動を憲法によってどのように制約するかということである。
もちろん、立憲主義を掲げた改憲であれば、どのような条文案でもよいということにはならない。自衛隊を憲法に明記しても、その権限を広く認めるだけであれば、かえって政府の自由度を野放図に高める結果となりうる。具体的にどのような制約を設けるのか、制度設計が問われなければならない。
9条の改正が現実の政治課題となりつつある今、問われるべきなのは、単に条文を変えるか維持するかということではない。「軍国主義か平和主義か」という戦後日本の伝統的な対立図式を超えて、「立憲主義か非立憲主義か」という本筋の問いを、憲法論議の中心に据えるべきではないだろうか。