「日台」が主流化しつつある日本と台湾の関係
1972年の断交の後にも、公式関係において「日華」は後退、「日台」が「日華」の代替として表に出やすくなった部分はあったが、台湾側は変わらずに自らを中国の正統政権であるという立場を強調していたので、「日華」はコインの表であり続けた。表の世界で「日台」の存在感が強まってくるのは、1990年代に李登輝という日本統治時代を背負った政治家の登場を待たねばならなかった。特に総統としての安定期に入った1995年ごろから、李登輝は自らに内在する「日本」を積極的に語り始めた。司馬遼太郎の『台湾紀行』や李登輝自身の著書などで語られたその対日観は基本的に「日台」の論理を基調としたもので、日本人に広く好感を持たれる一方、台湾の中華民国派や中華人民共和国を不快にさせるものだった。
最近でも李登輝の対日関係の発言にあれだけ馬英九総統がかみついたのは、「日台関係」の政治家である李登輝と、「日華関係」の政治家である馬英九の意見が噛(か)み合わないからではないだろうか。例えば、尖閣諸島について領土意識は、民進党などの本土派に多い「日台」派にはそれほど濃くはないが、国民党などの「日華」派からすれば譲れないものである。沖ノ鳥島の漁船拿捕(だほ)で、国民党の主導する対日批判に民進党が同調しているのも、彼らが制度上は中華民国の政党や行政官、立法委員である以上、どうしても政治の場のモラルでは中華民国的論調になってしまうからだ。この問題で、日本への強硬姿勢に慎重な見解を示した次期駐日代表の謝長廷に対しては、国民党支持の論者などから「皇民」という批判的な言葉が飛んだ。中華民国的価値観からすれば「皇民」という言葉は、「売国奴」の一歩手前ぐらいの強さがある。
しかし、総じていえば、李登輝の時代から日本と台湾との関係は、次第に「日華」から「日台」への比重を移すようになってきたことは間違いない。それは台湾自身の中国意識の減退と台湾アイデンティティーの隆盛がはっきりしてきたため、日本と台湾の関係でも「日台」が主流化しつつあるのだ。
興味深いのは、李登輝政権のあと2008年の政権交代の際、「反日」と取りざたされた馬英九総統の就任で日台関係の悪化が不安視された。結果的には、この8年間、日台関係は悪くならないどころか、尖閣諸島問題に絡んで画期的な日台漁業協定が結ばれ、長年の懸案だった故宮の日本展も実現した。日本、台湾双方から「断交以来(あるいは戦後)最も良好な日台関係」という見方が出ていた。ただ、陳水扁政権末期にも「最も良好」という評価はあった。これは、李登輝以来の日台関係が、諸問題をはらみつつも、「日台」を基調とした右肩上がりの上昇トレンドにあることを意味していると言える。昨今の相互の震災における支援=好意の交換という好循環は、基本的に「日台」の主流化というトレンドのもとに起きている事象と考えることができるし、日中が抱える近現代史の問題からも影響を受けず、人と人のつながりや感情を基軸にお互いを支える民間の「日台」意識が見事に結晶化したものであろう。