伝統的香港民主派は「中国アイデンティティー」を掲げていた

香港と台湾の運命は、双子のように結びついているところがある。中国にとって、清朝末期の王朝の弱体化によって欧米・日本などの列強に奪われた領土の回復は、革命の正統性の証明のようなもので、そこにかける執念の強さは日本人の想像がつかない。英国から香港を、ポルトガルからマカオを、20世紀末に取り戻した。最後はかつて「日本から奪われた」とする台湾を手に入れることによって、共産党の革命(列強への復讐)は完成する、というシナリオが描かれている。そのなかで香港は「一国二制度」の実験地でもあり、香港の成功が台湾統一への説得力を持たせるという理論が組まれた。つまり、香港は中台間の「仲介者」かつ「先行者」という位置づけであった。

2010年に中国と台湾との間で結ばれたECFA(中台経済協力枠組み協定)は、2003年に香港と中国との間で結ばれたCEPA(中国本土・香港経済連携緊密化取り決め)の台湾版だったことはよく知られている。中国大陸からの観光客による「メリット」の提供も、香港で2003年以降に成功した経済活性化のスタイルを台湾に持ち込んだものである。

そうしたこともあり、李登輝や陳水扁などが推し進めた台湾の「本土化」に、香港の世論や知的階層は総じて批判的だった。中国に対しては、中国人として民主化を求め、中国を香港化させることが、返還後の香港のアイデンティティーになったからだ。当然、次第に台湾化=本土化していく台湾を香港人は冷ややかな目で見ており、香港における「反共産党」の勢力である民主派は、台湾の民進党の本土化路線を支持していなかった。なぜなら、香港の民主派は伝統的に「中国アイデンティティー」を掲げているため、「台湾アイデンティティー」の民進党にはシンパシーを持てなかったのである。