新興住宅街「大正町」の誕生
大正町の街路は、南北を結ぶ道路に対し、路地が直角に交差する格子状のものだった。路地は縦貫鉄道の線路から北に向かって一条通り、二条通り、三条通り・・・と名付けられた。これは木村自身が地図上に線を引いたものと言われている。
中心を走る大通りは「大正町通り(現在の林森北路)」と呼ばれた。また、路地は「四条通り」だけがやや太い道路だった(現在の長安東路)。2本の道路の交差点には日本聖公会の教会があった。これは現在もその姿を留め、台北市が指定する史蹟になっている。
住宅は間取りなどに一定の基準が設けられ、特に、水回りの管理が徹底されていた。街路樹も植えられ、排水溝の整備も重視された。
この住宅地は評判が評判を生み、入居希望者が殺到したという。台湾総督府の官吏や財界人が多かったが、後には「内地式の暮らしを受け入れること」を条件とし、台湾人や外国人も居住が許された。俳優の故・岡田真澄、E.H.エリック兄弟も幼少期をデンマーク人の母とこの地で過ごしている。
