「日本には差別なんてない」と頭がお花畑の右の人が言う。
「日本は差別大国だ」と社会に失望した左の人が言う。
今日の日本で、差別について語ることはますます難しくなってきていると感じる。差別を指摘するとしばしば過激派と見なされ、即座に「パヨク」「反日」などのレッテルを貼られ、「差別ではなく区別だ」というもっともらしい反論ではぐらかされ、場合によっては「そんなに日本が嫌なら出ていったら?」と嘲(あざけ)られる。しかし、どの国、どの共同体にも差別は存在し、それを指摘することは当の共同体に対する攻撃には直結しない。臭い物に蓋(ふた)をしても、桶の中でぷんぷんする悪臭はいずれ溢れ出る。にもかかわらず、溢れ出る不快な臭いにも見て見ぬふりをしようとし、時にはきつい香水を吹きかけてそれをかき消そうとする今の社会の雰囲気には、とても違和感を覚える。何かが腐って臭っているのなら、臭いの発生源をきちんときれいにするのが正しい対策ではないだろうか。
日本という国を無条件に擁護し、「美しい国・日本」と褒めそやすことも、この地に居住している愛しい人間の存在を無視し、「差別大国」と貶(おと)すことも、私はしたくない。日本でも台湾でも、私は人間の温もりを垣間見たことがあり、涙ぐみ、憤るような差別を受けたことがあったからだ。