米国留学をきっかけに和太鼓との縁を深め、その後、異国の台湾で和太鼓指導者、奏者となった熊谷新之助氏。台湾に残って活動を続ける背景に、当時の生徒への思いと、台湾の和太鼓に対するイメージを変えたいことがあった。現在、新たな目標として和楽器の総合教室の立ち上げと、台湾での邦楽ネットワークの構築を掲げ精力的に活動している。

大けがを負った中学時代

熊谷新之助は三人兄弟の末っ子として、北九州市の八幡に生を受けた。ピアノ教師の母の奏でるピアノの音が好きだった彼は、幼い頃はよくピアノの下で昼寝をしていた。二人の兄のように、母から直接ピアノの手ほどきを受けることはなかったが、幼稚園では鼓笛隊の一員だった。小学校の演芸会でも打楽器担当、中学校の文化祭ではバンドのドラマーだった。少年時代から打楽器との縁は深かった。

新之助は運動神経も抜群だった。厳格だった父からは、二人の兄たちと共に、毎日、朝練習を課されていた。大相撲元小結の大潮が年の離れたいとこに当たるという血筋に加え、小学6年生で既に172センチメートルあった長身を生かし、地元の神社の相撲大会や小学校のバスケットボール部では花形選手だった。中学では次兄も所属していた軟式テニス部に入部した。

ところが、中学2年生の時に同級生との悪ふざけが元で、右手首の血管と指の神経3本をガラスで切断する大けがを負ってしまう。40キログラムあった右手の握力も一時は9キログラムまで落ち、指には今も後遺症が残る。それでも負けず嫌いだった彼は、箸やペン、ラケットも左手に持ち替えて練習を重ねた。

「やんちゃで、けがが絶えない子でした。母も慣れていたんでしょうね。手首をけがした時にも、母から言われたのは『あほちん』の一言だけでした。でも、母が楽観的だったので、気持ちが救われました。」

熊谷新之助氏(熊谷新之助氏提供)
熊谷新之助氏(熊谷新之助氏提供)