台湾で和太鼓奏者・指導者として独立
1年後には新之助は正社員となった。しかし、会計担当に任命され、講師コースからは外れてしまう。内心は複雑だったが、和太鼓と関われることはそれでも救いだった。この年、太鼓センターは台北支部を仮立ち上げしていた。
ところが、翌2012年2月に台北駐在員が急きょ、退職することになり、後任は社内公募となった。新たな土地で自分の見識を広めたい。米国での留学経験があり、元々海外生活に抵抗が無かった新之助が手を挙げると、あっさり台北赴任が決まった。当時付き合っていた彼女には、夏には台北に呼び寄せるとの約束をし、プロポーズもした。こうして、4月には台湾へと飛び立った。
着任当初は台湾での事業展開の方向も定まっていなかった。台湾の言葉も、生活習慣や文化に対する知識も、仕事の現場でたたき込んだ。紆余(うよ)曲折を経ながらも、新竹の企業とフランチャイズ契約を結ぶことになった。
また、台北中心部のヨガ教室の地下スペースを借り、和太鼓教室もオープンさせた。日本からはベテラン講師が派遣されて、指導に当たった。翌2013年にこの講師が任期満了で帰国すると、新之助は講師も兼任することとなった。
2014年の夏、合宿研修のため、新之助が一時帰国した時だった。そこで彼を待っていたのは、台北支部閉鎖と京都本部への異動の知らせだった。青天の霹靂だった。しかし、新之助は台湾にとどまって、講師を続ける決意をする。
「生徒たちの顔が浮かびました。ここで辞めてしまったら、生徒に申し訳ないと思いました。また、台湾は太鼓奏者の裾野は広いのですが、技術が伴わないことも多く、このままではもったいないとも思ったのです」
従来、台湾では「太鼓は子どもがやるもの」、「廟(びょう)などで社会更生のためにやるもの」との固定観念も根強かった。この状況を打破したいとの思いもあった。新之助は「和太鼓熊組」を旗揚げして独立した。幸い、ほとんどの生徒が残ってくれた。
2015年には教室を現在の新北市板橋区へと移転した。台湾の奏者たちと太鼓演奏グループ「奏流(そうる)Taiwan」も結成し、イベントへの出演依頼も次第に増えていった。
「自分は『太鼓はたたくな、鳴らせ』とたたき込まれてきました。台湾の太鼓は『動きを見せる』のが主流で、スピードやテクニックが重視されます。一方、和太鼓は『力強さ』の表現や、『魂を込める』という精神性に重きを置きます。力を抜いてバチを振り抜くことで、初めて心に響く音が生まれるのです」

