訪台取材

5月20日から27日の間、台湾取材に出掛けた。年一回しか出張は認められないので、確かこれは休暇を取り自費で出掛けた。

日記によれば、台北に着いた日に早速、謝明達氏と会っている。江南事件に関する彼の話の重点は、事件は4月の汪希苓ら3名の軍事法廷公判が公開で行われたことで、もう政治的には台湾では終わりになっているという点だった。事件について台湾の外で語られていることは台湾でも全部語られており、台湾内部では海外のようには国民党政権の打撃にはなっていない、というのが彼の見立てであった。

保存されている「第一法廷」の内部、台北市、景美人権テーマ・パーク(筆者提供)
保存されている「第一法廷」の内部、台北市、景美人権テーマ・パーク(筆者提供)

それから、康寧祥氏の紹介とアレンジで、前記費希平氏を台北市郊外の「大湖山荘」に訪ねた。費氏は外省人で第一期立法委員、つまりは「万年議員」だったが、「党外」勢力の一員として当時は重きを成していた。「大湖山荘」とは政府が「万年議員」のために作った団地である。費氏の話では事件に出てくる人物論が参考になった。蒋孝武についてはすでに触れた。汪希苓は情報機構の要職だが何の教育も無い、功名心にはやり、ご主人のために何かをしたい、これが唯一の思想なのだ。費氏からこうした感触を伝えられたのは当時の私にとってはたいへん貴重な経験だった。

汪希苓軟禁区(special jail quarter for Wang shi-ling)(筆者提供)
汪希苓軟禁区(special jail quarter for Wang shi-ling)(筆者提供)

その他、台北では、文芸誌『台湾文芸』を後援していた陳永興(1950-)医師(後に「二二八和平日促進会」リーダー)や作家の陳映真(1937-2016年)氏にも会った。陳映真氏には、政治犯として投獄されたこともある同氏が外国渡航解禁となった後、東京に寄った際に戴國煇先生の晩餐に陪席した時に知り合っていた。日記の記述は不完全でどういう話を聞いたのか残念ながら復元できない。

ペンネームで江南事件を書く

江南事件は米国で発生した事件だが、私は香港に来て事件に遭遇した。当時大学の先輩の近藤大博さんが『中央公論』の編集部にいて、4月中に香港まで電話をかけてきて、江南事件について書かないかという。もちろん勇んでお引き受けした。おそらくは訪台取材もこの依頼があってから発意したものだと思う。台湾から戻って執筆に着手し、83年選挙観察の時と同じ「磯野新」のペンネームで『中央公論』85年8月号に発表した。近藤さんが付けたタイトルは「三重スパイ(?)江南暗殺事件の怪」で、タイトルには<大型ドキュメント>の語も入っていた。この言葉通り、400字100枚という長編の注文だったのである。近藤さんはまもなく同誌編集長になって活躍されたが、転換期にさしかかった時期の台湾政治についての私の論壇への発信も後押ししていただいた。ペンネームにしたのは主として当時の総領事館勤務という立場を考慮してのことだった。近藤さんにはしきりにあれは誰だという問合せがあったということであるが、もちろん彼は明かさなかった。総領事館の人は分かっていたようで、分かっているよということをにおわせはしたがそれ以上は何も言わなかった。ペンネームの由来は、当時私が住んでいた相模原市の地名「新磯野」をひっくり返しただけであった。

バナー写真=磯野新「三重スパイ(?)江南暗殺事件の怪」(『中央公論』1985年8月号)(筆者提供)