編集者としてのキャリアがスタート。インリンのマネージャーにも就任

2000年に語学教材専門出版社のアルクから月刊誌「中国語ジャーナル」が刊行されると、中国語学習者の間で大きな話題となった。その購読者となっていた二瓶は、2年後、同社のカスタマーサービス部で求人があることを知り、応募すると採用された。編集部門ではなかったが、中国語を扱う業界に身を置けるのはうれしかった。同僚にはいつか中国語を使った仕事をしたいとこぼしていた。それが通じた。2005年初めに「中国語ジャーナル」の編集部に二瓶は異動がかなった。

「同誌の歴代編集長が自分の恩師です。古市眞人さんにはチャンスをいただき、海老沢久さんには育てていただいて、自分が目指す編集者像が形になりました。服部浩之さんからは広い視点で物事を捉えることを学びました」

「中国語ジャーナル」(二瓶里美さん提供)
「中国語ジャーナル」

映画評論、料理、エンタメの記事編集を担当し、著名人の取材では事前の段取りをつけることも仕事だった。人生初の取材では、対象者の急な日程変更で母語話者のインタビュアーの都合がつかず、自ら中国語でインタビュアーを務める事態にも陥った。しかし、台湾のドラマやアイドルがもてはやされた「華流」ブームにも乗り、仕事は順調だった。

「編集の仕事は当初は我流でしたが、現場でもまれました。毎回取材対象の方に魅了されては、その方のファンになりました」

その取材対象の一人に、タレントでハッスル(プロレス興行)ではプロレスラーとしても活躍したインリン(垠凌、当時の芸名はインリン・オブ・ジョイトイ)がいた。気さくな人柄で冷静に等身大の自分を語る姿に好感を持った。これが縁で2007年からは、インリンによる台湾情報の連載が同誌で始まり、二瓶が編集を担当した。2011年にインリンが台湾に帰国した後も二人の交流は続き、2015年からは、二瓶がマネージャーとして彼女の日本関係プロジェクトの窓口を担当するようにもなった。

インリンさんに話を聞く二瓶里美さん(二瓶里美さん提供)
インリンさんに話を聞く二瓶里美さん(二瓶里美さん提供)

一時代を築いた「中国語ジャーナル」だったが、2013年春に休刊となった。これに伴い、二瓶は書店営業部に異動となり、自社の書籍販売を裏方で支える立場となった。