東京下町で味わった困難
鄧日成さんはどうして中華料理の店が多い池袋や新宿ではなく、浅草の地を選んだのだろうか。
日本では外国人が店を出すのは容易なことではない。中華圏出身となると、人脈がなければ、出店のハードルはさらに高くなる。
当初、鄧日成さんが物件探しを始めたとき、まずは日本の仲介業者を頼った。しかし多くの物件では外国人との賃貸契約を嫌がって、意図的に賃料がつり上げられる。一度、大通りに面した物件が決まりかけたとき、もともとは手ごろな賃料だったのに、物件のオーナーが賃料を100万円に上げ、断念せざるをえなかった。
最終的には、鄧さんの熱意を知った仲介業者がオーナーの説得に動いてくれたそうだ。そのとき、ちょうど浅草の老舗洋食店が店長の隠居のため店じまいの準備をしていた。店は浅草の閑静な住宅街にあったが、賃料が場所に見合った価格だと思った鄧さんは、その店舗を引き継ぎ、「火炎香港創作料理」の出発点としたのだ。
中国の伝統的占術「八字」を信じる鄧さんは、八字で占った際に彼の姓名に「火」が足りないことを知り、店の名前に「火炎」とつけた。同時に火炎という名には、鄧さんの店への闘志もこめられている。しかし開店したばかりの頃、住宅地や周りの店は、見ず知らずの鄧さんに対し不信感を持っていたと感じることがあったという。
「オープンしたばかりの頃、近所の店の人がその店の常連客と外でタバコを吸いながら、火炎のことを『この店の料理はまずい!小籠包がまずい!』と言っていました」この言葉に、鄧さんは一度は肩を落としたという。「でも彼らは火炎に来たことがないし、うちのメニューに小籠包はないんです」と鄧さんは苦笑しながら振り返った。
この2年で、鄧さんは近所の人たちと少しずつ仲良くなってきたそうだ。香港では盗難や災害から身を守るため、隣近所で互いに助け合う「守望相助」の習慣がある。鄧さんは浅草でも同じように「ご近所さん」と助け合いの気持ちを育んでいきたいそうだ。
