「国民党と同じなのは機関の名称だけだ」
前記『中央公論』の記事には、座談会の際に撮影された当日の6氏の表情を示す写真を掲載している。
なかなかの面構えである。決然とした面持ちの中に緊張感が漂う。こうした表情から発せられた、静かだがこれもまた決然とした彼等の発話が、当日の座談会の雰囲気を作り上げていたという印象が今でもある。
彼らの緊張感は、ほとんどが初対面の日本の学者とジャーナリストの前で話したことに由来するものではなかったかと思う。発言した複数のメンバーが、われわれの党は生まれてまだ4カ月あまりの「とてもベイビーな党」で、国民党の法律ではまだ合法化されていない存在であることに注意を喚起していた。私は、彼らの新党党内での職掌や党組織の名称をとりあげ、彼らが反対しているはずの国民党と同じではないかとの質問をぶつけたが、それには国民党がわれわれに「人民団体」として登録せよと迫り、新党の存在を矮小(わいしょう)化しようとしているから故意にそうしたのだとの答えが返ってきた。
新党の前途はまだ不確実性に満ちていた。後知恵からすれば1986年の民進党結成容認や87年の戒厳令解除は結果的には後戻りできない政治的自由化措置であったように見えるのだが、法的には「政党は国土の分裂(台湾独立を指す)を主張してはならない」とする制限付きの自由化であった。新党を潰してしまえる手がかりは存在し続けていた。民進党の法的地位が最終的に安定するのは、これらの制限が無効となる1992年の第二次憲法修正まで待たねばならなかったのである。
私はと言えば、台湾の権威主義体制のブレークスルーにより以後に展開していく初回総統選挙実現までの民主化の十年の台湾政治のダイナミズムをどのように見ていくのか、それを単なる時事的観察の積み上げに終わらせるのではなく、学術的な政治研究としてどのように実現していくのか、そういう課題を突きつけられていたのである。
バナー写真=「党外選挙後援会」の席上で民主進歩党結成が決議された場面。議長席で立ちあがって司会しているのが游錫堃[現立法院長]、右端立って発言しているのが謝長廷、この時彼が民主進歩党という党名を提案した。出典:張富忠・邱萬興編著『緑色年代:台湾民主運動25年 1975-1987上冊』台北:緑色旅行文教基金会、2005年、206-207ページ(筆者提供)
(*1) ^ 座談会の詳しい内容は当日も参加した坂井臣之助氏が起こしてくれたテープから私が翻訳・編集して『中国研究月報』470号[1987年4月]に「台湾の新野党・民主進歩党は語る」と題して坂井氏と連名で発表した。

