今日は何の日:On This Day in Japan

今日は何の日:3月12日

維新の立役者、勝海舟が誕生

1823年(旧暦・文政6年1月30日) 江戸時代末期の政治家勝海舟が、旗本小普請組勝小吉の長男として出生。海舟は号。本名義邦、のち安芳と改名。蘭学、兵学を学び、長崎の海軍伝習所で航海術を修めた。咸臨丸艦長として遣米特派使節に随行。神戸海軍操練所をひらき、坂本竜馬ら諸藩の志士にも慕われ影響を与えた。新政府軍との衝突で江戸が火の海になる事態を回避するため、西郷隆盛と会談し、江戸城無血開城を実現させた。維新後は新政府の参議・海軍卿などに迎えられたが、欧米追随の政府を批判して辞任した。87(明治20)年伯爵に叙せられた。

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その他の出来事

1948(昭和23)年 最高裁判所で「死刑制度は日本国憲法下でも合憲」という判決が出る。殺人の罪で死刑判決を受けた被告人弁護人の「死刑は憲法第36条で禁じられている、公務員による残虐刑の禁止に抵触する」との主張に対し、最高裁裁判官11人による大法廷は合憲判決を下した。これにより、新憲法でも死刑制度は存続することが確定した。

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1974(昭和49)年 太平洋戦争終了後もフィリピンのルバング島に潜伏していた旧日本陸軍の小野田寛郎元少尉が救出され、日本に帰国。元少尉は陸軍中野学校二俣分校(静岡県二俣町、現浜松市天竜区)で訓練を受け、同島でゲリラ戦を展開した。敗戦を事実として受け入れず、「残置諜者」としてわずかな部下とともに活動を続けた。元少尉を捜しに同島を訪れた日本人冒険家と遭遇。「上官の任務解除命令がなければ投降できない」と語り、同島を再訪した冒険家に同道した元上官らの説得で「投降」を決断。帰国を果たした。終戦から29年が経過していた。

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1984(昭和59)年 殺人の罪で死刑が確定した谷口繁義死刑囚が無実を訴えた「財田川事件」の再審裁判で、最高裁から差し戻された高松地裁が、自白の信用性を否定して無罪を言い渡した。検察側は抗告を断念し、無罪が確定した。免田事件に続き、死刑囚の再審無罪2件目。

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2011(平成23)年 東京電力福島第一原発の1号機が水素爆発を起こし、原子炉建屋が崩壊して大量の放射性物質を飛散させた。爆発は第3、第4号機でも発生。格納容器の破壊を防ぐための蒸気排出(ベント)、汚染水漏れなどもあり、大気や海水、土壌などの汚染が広がった。原発の風下にあたる住民らが避難を余儀なくされ、現在でも4万人の住民が避難生活を送る。除染しても住民が住めない帰還困難地域は337平方キロと名古屋市とほぼ同じ面積に達する。原発から溶融核燃料を取り出す作業も進まず、廃炉への道筋は不透明だ。事故収束には程遠い状況が続いており、福島県民には「復興五輪」の掛け声がむなしく響く。

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2011(平成23)年 九州新幹線新八代以南の工事が完了し、博多−鹿児島中央間(営業キロ288.9)で全線開通。山陽新幹線への直通運転も始まった。全線開通まで運行していた博多-新八代間のリレー特急は廃止された。現在の最短所要時間は博多−鹿児島中央間が1時間16分。新大阪-鹿児島中央間でも3時間41分と航空機との競合で分岐点となる4時間の壁を破る。東海道新幹線への乗り入れは行われていない。地元では待望の九州新幹線全線開通だったが、開業日が東日本大震災発生の翌日とあって、記念式典など予定していた行事は全て取りやめとなった。

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