今日は何の日:On This Day in Japan

今日は何の日:4月16日

政治・外交 歴史 社会

GHQ率いたマッカーサー元帥が離日

1951(昭和26)年 GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官などを解任されたダグラス・マッカーサー元帥が日本を離れ、米国への帰途に就いた。羽田への沿道には約20万人の群衆が詰めかけ、空港では吉田茂首相が見送った。マッカーサー元帥は45年8月30日、厚木飛行場に進駐して以来、軍政のトップとして日本の民主化を進め、日本国憲法の成立にも深く関与した。朝鮮戦争の勃発で国連軍総司令官に任ぜられ、反対論があった仁川奇襲上陸を成功させ、ソウルを北朝鮮から奪還。北朝鮮優勢の戦況を逆転した。中国との全面戦争を主張してトルーマン大統領と対立。4月11日解任された。

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川端康成、謎の自殺

1972(昭和47)年 ノーベル賞作家の川端康成氏が、仕事場として使っていた神奈川県逗子市のリゾートマンション逗子マリーナでガス自殺した。享年72。日本を代表する作家のノーベル賞受賞から4年足らずの自死をめぐってさまざまな推測がなされたが、遺書はなく動機は不明。

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その他の出来事

「四・一六事件」で共産党員ら300人逮捕

1929(昭和4)年 田中義一内閣の下で警察当局が日本共産党の党員と支持者約300人を一斉検挙し、その後も幹部の市川正一らを逮捕した。295人が起訴され、同党は事実上壊滅。前年3月15日にも田中内閣は共産党の党員ら1500人を検挙。「三・一五事件」後、同内閣は緊急勅令で治安維持法を改正し、「国体の変革」の罪には死刑を適用できるようにしたため、裁判では三・一五事件以上に厳しい判決が下された。「共産党は国家転覆をもくろむ恐ろしい集団」との印象を国民に植え付けた。

裁判所法・検察庁法公布

1947(昭和22)年 裁判所法・検察庁法が公布され、5月3日、日本国憲法と同時に施行された。戦前は裁判所構成法により、裁判所に付置された検察局が検察の業務を所管し、裁判所の人事権も司法大臣が握っていた。戦後の裁判所法・検察庁法の制定により、裁判所から分離・独立して「検察官」の事務を統括する検察庁が設置された。検察庁は司法大臣(法相)の直轄機関となったが、個々の事件の取り調べ、起訴・不起訴などの処分については、法相は検事総長のみを指揮することができることになった。ただ、指揮権発動は54年の造船疑獄で、与党幹事長への強制捜査を任意捜査へ切り替えさせたのが唯一の例とされる。

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『となりのトトロ』劇場公開

1988(昭和63)年 スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画『となりのトトロ』が劇場公開。原作・脚本・監督は宮崎駿。昭和30年代前半の埼玉県所沢市を舞台に、子どもとオバケたちの心の触れ合いを描いたファンタジー。同じスタジオジブリ作品の『火垂るの墓』と共に公開された。興行収入は2作合わせて11.7億円と振るわなかったが、「キネマ旬報」の「日本映画ベストテン」第1位をはじめ多くの賞を獲得。

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