戦前の日台婚姻状況

台湾内政部によれば、2018年の外国籍配偶者の数は18万4346人(中国、香港、マカオを除く)。うち日本籍を持つのは4943人で、女性は2636人。割合としては決して多くないが、ベトナム、インドネシア、タイ、フィリピンについで5番目となる日本人女性と台湾人男性との婚姻の歴史は100年超え、日本時代にまでさかのぼる。

1895年、下関条約に基づいて割譲された台湾において日本の植民地経営が始まったが、当時、台湾人と結ばれた日本女性は「妾」という身分で、「真面目の女でなく殆んど其総ては醜業婦の類ひ」という偏見の下にあった(臺灣日日新報1915年4月23日)。当時の台湾総督府が台湾人に日本国籍を与えながらも、日台婚姻についての法制度が確立していなかったためだ。

その後1920年には、台湾人の日本同化を促すために日台婚姻が法的に受理されるようになる。とりわけ、台湾の裕福な子弟は日本に留学し、出会った日本女性と結婚した。華南銀行の創業者で、台湾有数の財閥である「板橋林家」林熊徵の妻も日本人で、こうした台湾の名家や富裕層に嫁いだ日本人女性が少なくないことは、後の台湾における日本人女性という「ブランド」に影響を与えているだろう(参考:日本人女優を起用した避妊具の台湾広告に私が違和感を抱いた理由)。

戦後になると日本人妻をめぐる状況は一変する。1945年、中華民国に編入された台湾では、蒋介石率いる国民党政府が支配権を握るようになり、1947年には二・二八事件が勃発。国民党政府のやり方に不満を持った民衆が台湾各地で起こした暴動が政府によって武力鎮圧され、おびただしい人命が失われた。特に日本教育を受けたエリート層たちは弾圧の標的とされ、多くの日本人妻たちが息をひそめ脅えながら生活することとなる。

同年、在台日本人の引き揚げにともない、台湾人と結婚した日本人妻に対して中華民国への帰化を条件として台湾に留まることを許す政策がとられ、258人が日本国籍を放棄する(1946年/台湾日僑管理委員会調べ)。

時期を同じくして、日台婚姻も減少に転じる。当時、台湾で生活していた日本人妻は、日本時代すでに台湾人に嫁いでいたか、台湾人の夫と日本から引き揚げてきた人がほとんどだった。また少数ながら、中国から国民党政府と共に渡ってきた日本人妻もいた。戦後、台湾接収の際に初めて行政長官となり、二・二八事件の責任者でもあった陳儀の妻もまた、日本人であったらしい(台湾には一緒に来ていない)。