戦後さまざまな制限を課せられた日本人女性ら

戦後しばらくの台湾は、日本人妻たちにとってもつらい時代であった。1949年に中国で共産党との内戦に敗れ台湾へと撤退した国民党政府は、二・二八事件の教訓を生かして台湾全土に戒厳令をしき、1987年の戒厳令解除まで38年間、言論を統制し、反政府運動を弾圧した。そうした強権的な政治への不満をそらし、政権の安定を図るために行われたのが、徹底した反日教育である。

しかし理由はそれだけとも思えない。中国から国民党と共にやってきた人々にとっては日中戦争の記憶が、まだ生々しいこともあったろう。戦後に中国から来た人々で主に公務員が多く居住する地域に住んでいたある日本人妻は、当時、市場や美容院で嫌がらせを受けたり、陰口をたたかれたり、自殺寸前まで追い詰められた経験を話してくれた。また、母親が日本人ということを学校で知られ、「日本鬼子」とののしられて石を投げられたり、ひどいイジメに遭ったりした日台婚姻家庭の子供たちも多く、登校拒否に発展した例もあった。

出入国についても厳しい規制が敷かれ、多くが十数年ものあいだ、日本への里帰りを叶えられずにいた。台湾で暮らすさまざまなバックグラウンドを持つ日本人妻の貴重なエピソードが満載の書籍『海を越えたなでしこ』(本間美穂・著/日僑通訊出版/1999年)によれば、ある女性は、日本に暮らす母親の危篤の知らせを受けながら、帰国の許可が下りるまで半年かかったため、死に目に会えなかった経験を語っている。戒厳令下では日本の図書やレコードの発売禁止に加え、公の場での日本語使用も禁じられたため、日本の文化や娯楽を楽しむ機会も稀少であった。

さらにいえば、それまで長い間、日本以外のアジアの国々に対して優越感を持ち見下してきた日本人自身の無理解も、台湾に嫁いだ日本女性を苦しめた。周囲の反対を押し切って台湾人と結婚した日本女性も少なからずいたが、実家を頼ることができないため、長い間、故郷の地を踏めずにいたのである。