「物言う市民」と育てる公園
そもそも台湾では教育の場でしか語られることのなかった「インクルーシブ」という概念が、公園に持ち込まれた背景には、2015年、「子どもたちの遊ぶ権利」を訴えて声を上げた、市民たちの存在があった(*3)。
それ以前の行政府は、公園政策を重視していたわけでもなければ、公園づくりに市民が参画することに積極的でもなかった。それが今や、多くの地方自治体が、市民も参画できる公園づくりに熱をあげている。東鶯里の陳里長は言う。
「(以前は)公園なんて誰も取り上げたことはなかった。正直なところ、それが票になると分かって、みんなこぞって公園をつくるようになった」
「台湾の政府はいつも怒られてる。総統だって(笑)。僕たち里長も選挙というプレッシャーがあるから、きちんと仕事をする」
つまり「物言う市民」の存在と投票行動が、行政にしっかり影響を与えているというわけだ。
新北市議員・廖宜琨さんの事務所主任を務める劉徳彬さんによれば、「物言う市民」の存在は、2013年の「白シャツ軍運動」をきっかけに可視化されたのではないかという。
同年、台湾で兵役についていた若い兵士が、上官からのいじめが原因で死亡する事件が起きた。これを受けて、若者を中心に、事件の真相解明と軍の改革などを訴える運動が起こり、およそ25万人もの市民が、白いTシャツを身に着けて路上に出た。これは当時の台湾史上、最大規模のデモだった。
インターネットの普及も、呼びかけに力を貸した。電子掲示板やフェイスブックを介して、デモの趣旨に賛同する市民が集まり、大きなうねりとなった。結果、政府は一部の要求を呑まざるを得なくなった。
翌2014年には、サービス貿易協定に反対する学生らが、24日間にわたって立法院を占拠する「ひまわり学生運動」が起こる。立法院内部の様子はライブ配信され、SNS(会員制交流サイト)上でも連帯が呼びかけられた。立法院の外でも、学生を支持する人たちがデモを行うなど、「物言う市民」がますます存在感を増した。
台湾には長らく「物を言えない」時代があった。その時代を実際には体験していない世代にも、劉さん曰く「結局のところ、何でも政治とつながっている」という認識が共有され、社会運動に結びついた。
2015年の「子どもたちの遊ぶ権利」を訴える抗議活動も、その流れと無縁ではない。抗議活動に関わったNPO法人「還我特色公園行動連盟」の李玉華さんは言う。
「子どもの遊ぶ権利も、ひとつの人権思想。市民参画とか人権とか、そういったものは、民主主義を追求する政治につながる。文化や市民の意識が高まることで、インクルーシブという概念も一緒に育っていくんです」
公園という公共空間を、市民と行政が協力しあって育てていこうとしている台湾。日本でも称賛されている台湾の新型コロナウイルス対策も、もとをたどれば、この市民と行政のつながりに支えられているのではないだろうか。
片や日本でも、新型コロナウイルスの影響で集会を開くのが難しい中、SNSの#(ハッシュタグ)を使った、ネット上での投稿デモが広がりを見せ、「物言う市民」が存在感を示したことは記憶に新しい。コロナ禍で、「何でも政治とつながっている」ことを実感した人が多かったのかもしれない。
ごく身近な場所である公園ひとつとっても、政治と無関係ではありえないことを、台湾の例は教えてくれる。願わくば日本の公園も、私たちみんなに開かれた、みんなのための場所だと、心から感じられるような空間であってほしい。
バナー写真:黄昏時に明かりを灯す前港公園のシンボルツリー(筆者撮影)
(*1) ^ 本稿では、遊技場の建設は概念形成にもつながるものだと考え、「つくり」と表記する。
(*2) ^ 里は市・区・鎮の下位に属す行政区分。里長は4年に一度の選挙で選ばれる
(*3) ^ 詳しくは『私たちの公園革命——台湾の公園に「インクルーシブ遊戯場」が生まれた日』を参照。
