酒造りの研さんの道

旭酒造での1年目は、少しでも早く日本酒の製造過程を覚えるために、各部門を回り勉強した。仕事の後には専門書を読み知識を得ようとした。極度の品薄状態を解消するため、旭酒造は2015年に酒造メーカーの常識を破る12階建ての工場で大量生産を始めたのだが、私が入社した当時は、建物は半木造で、いわゆる昔ながらの酒蔵だった。私はここで伝統と現代が共存する技術を学んだのだった。2年目には輸出業務にも携わった。台湾を中心に香港、シンガポールでもイベントを行った。だが当時、獺祭は生産が追いつかず、海外で売ろうにも売る酒がない状態だった。「やりたい気持ちはあるのにできない」というもどかしさの中、私は旭酒造を辞め東京の出版社へ転職することにした。

東京へ「逃亡」して1年、私はやはり酒造りの喜びを忘れることができなかった。そこで香港で知り合った島根県の李白酒造の田中裕一郎社長に連絡し、蔵人(くらうど)として酒造りを極めていきたいと思っていることを伝えた。私は留学時代に経験した島根での生活が気に入っていたし、台南出身であるせいか、神々の息吹に包まれた島根という場所が好きだった。田中社長は私の申し出に快く応じてくれて、2015年に私は再び島根に戻ることになった。こうして私は本格的に酒造りの道を進むことになった。東京農業大学卒の田中社長の方針は、酒造りの知識を持ち研究を進めることができる正社員の育成である。そんな李白酒造で私は知識と実際に現場で使われている技術をより深く結び付けることができ、国家資格である酒造技能士にも合格した。

李白酒造にて。蒸米に麹菌をまく「種きり」を行う筆者(筆者提供)
李白酒造にて。蒸米に麹菌をまく「種きり」を行う筆者(筆者提供)