「交流協会」から「日本台湾交流協会」へ
野嶋 池田さんが代表を務めた日本の対台湾窓口機関「交流協会」の名称が今年から「日本台湾交流協会」に変わりました。この問題も、広い意味では「一つの中国」問題の一部だということが言えるかもしれません。
池田 私が台湾に代表として赴任していた2005年から2008年まで、交流協会の名称は実体に即して変えるべきだとずっと主張していました。台北の空港でタクシーに乗って「交流協会に行ってください」と言っても、誰も分かりませんからね。正式名称は交流協会でしたが、いろいろな場であえて「日本」をつけて「日本交流協会台北事務所代表」などと名乗っていました。この「代表」という肩書きも、交流協会台北事務所ですから、日本語ではトップは正式には「所長」なのですが、中国語では「所長」はニュアンスが少し弱い。同じ台北にいる韓国やシンガポールの関係者に聞くと、みんな代表(representative)を使っていたので、私も「代表」を名乗ることにしました。それだけでも東京の了承を取り付けるのに何カ月もかかりました。
1972年の日中国交樹立交渉の時、日本は台湾につくる日台間の窓口機関の名称として「日華交流協会」という案を考えていたようです。中国が「日華」は望ましくないと反対し、それなら「日台交流協会」にするのはどうかと考えたようです。しかし「日台交流協会」に対して、逆に台湾の蒋介石政権が「中華民国」の立場から受け入れたくないということで、結局、何も名前が付かない「交流協会」になったようです。ずいぶん時間はかかりましたが、今回、交流協会の名称が変更できたことは非常に良かったと思います。
インタビュー写真撮影=ニッポンドットコム編集部・高橋 郁文
バナー写真=「日本台湾交流協会」の台北事務所で開かれたお披露目式典=2017年1月3日、台北市内(時事)
