2027年の干支(えと)は丁未(ひのとひつじ)。干支はもともと、古代中国の思想・陰陽五行説から発生したもので、現代の日本では、十干に言及されることは少ないが、動物と結びついた十二支は年賀状のイラストやその年を象徴するキャラクターとして使われることも多く、小さな子どもにまで定着している。未年にちなんで、ヒツジにまつわるあれこれを。
未の刻 / 未の方角
「未」は「子」から始まる十二支の8番目。もともと干支は年、月、日、時間、方位を示すためにも使われていたもので、「未の刻」はおおむね午後1時から午後3時までの2時間を指す。方角は南南西。
十二支の中で最もなじみない動物
ヒツジがはじめて日本にもたられたのは西暦599年。日本書紀に百済の国から貢物として駱駝(ラクダ)、驢馬(ロバ)各1頭、羊2頭、白雉(はくち=白いキジ)1羽が献じられとの記録が残っている。
その後も、大陸からの献上品として贈られたり、輸入したこともあったが、牛や馬のように農耕や荷役には使えないことや、羊毛を加工する技術がなかったことから、家畜として定着しなかった。
十二支に入っているので「ヒツジなる動物がいる」という知識はあっても、実際に見たことがある人はほとんどいなかった。室町時代の十二支の動物を擬人化した絵巻には「どう見てもヤギ!」と思われる長いあごヒゲの動物が立派な着物姿で登場する。江戸時代に入って編さんされた百科事典「和漢三才図会=わかんさんいずえ」などのヒツジの項目の挿絵もヤギの特徴が強く出ている。
日本が本格的にヒツジを輸入すようになったのは明治維新後のこと。日清、日露の戦争や第1次大戦の勃発で軍需物資の需要から、ヒツジの飼育が奨励された。第2次大戦後は食料不足と衣料不足から羊の飼育を奨励されたが、戦後復興から経済成長期に入ると、輸入羊毛の方が安価で良質の羊毛が輸入され、再び国内の羊毛生産が極端に低下し飼育頭数も減少の一途をたどった。
このように、古代から現代に至るまで、家畜として主要な地位を占めることはなかった。馬や牛とは違い、「羊」がつく地名や、「羊」がつく名字、「羊」の慣用句などほとんどないことも、日本とヒツジの関係の薄さを象徴しているのかもしれない。
【羊羹 / ようかん】
小豆あんを練って、寒天で固めた和菓子の代表格。なぜ、「羊」なのか?本来は「羊」肉の入った「羹=あつもの=スープ」を指す言葉。鎌倉時代から室町時代にかけて中国に留学した禅僧が日本に伝えたとされるが、日本の仏教は肉食を禁じていたため、羊肉に見立ててあずきを使ったのが始まりとされる。
【ジンギスカン】
第一次世界大戦を契機に、北海道では国策によって綿羊飼育が盛んとなったものの、輸入羊毛や化学繊維との価格競争力がなく、北海道内では綿洋飼育から羊肉用の飼育へと変わっていった。「ジンギスカン」は当時の羊肉消費拡大のために根づき、北海道の郷土食と言っても過言ではないほど。春から夏にかけては、屋外でジンギスカンを楽しみ親睦を深めるジンパ(ジンギスカン・パーティー)があちこちで行われている。
【羊蹄山 / ようていざん】
標高は1898メートル。「蝦夷(えぞ)富士」の名で知られる均整の取れた円錐型の成層火山でニセコエリアのシンボル的存在。郷土の山に「富士」の名を付けた山は全国に300とも400とも言われるが、その中でも最も富士山に姿が似ているとれされる。
もともとはアイヌ語でマチネシリ(女山)と呼ばれていた。和人は後方羊蹄山(しりべしやま)と名付けたが、難読なため、簡略化され羊蹄山と呼ばれるようになった。
1912年、 日本にスキーを伝えたレルヒ中佐が登頂して以来、冬はバックカントリースキー、夏は登山客が全世界から訪れる。





