台湾で最も露出度の高い日本人タレントになる
夢多の台湾での芸能活動のスタートは散々だった。何度もテコンドーの国際大会を経験していた彼は、カメラ慣れはしていた。しかし、演技は初めてだった。キャスティングの指示通りの動きができず、オーディションは19連敗。仕事のもらえない日々が続いた。しかし、20回目の挑戦で製菓会社のCMの撮影が決まると、少しずつ仕事が入るようになった。だが、まだ何とか生活できる程度だった。数年間こうした状況が続いた。次の転機は11年に訪れた。
「香港のアクションスターのサモ・ハン・キンポー(洪金宝)の息子のジミー・ハン(洪天祥)と出会ったのです。ジミーの事務所に所属しながら、武術道場の『傅龍会館』に通い始めました。この道場には『F4』のバネス・ウー(呉建豪)やディーン・フジオカも出入りしていました。ジミーの下でスタントマンや殺陣付けなど裏方の仕事をもらいました。これが、その後2016年の台湾の旧正月映画『人生按個讚』でアクション監督を務めることにつながりました」
しかし、やはり自分は表舞台で勝負したい。そんな思いを募らせるようになった。その直後、東森テレビ局の人気バラエティー番組『二分之一強』からレギュラー出演のオファーがあった。それと前後して13年の『変身』、また日本でも公開された14年の『大稻埕』、17年の『ママは日本に嫁に行っちゃダメと言うけれど。』など台湾映画、日台合作映画にも続々と出演。さらに16年には、三菱重工のエアコンのイメージキャラクターにも採用された。台北駅の隣のビルの壁一面に夢多の全身ポスターが張り出され、名実ともに台湾で最も露出度の高い日本人タレントとなった。
この時期、並行して14年からの3年間、夢多は出身地のMRT宮崎放送の「食リポート」番組『大谷主水のミヤザキ レリート タイワン』の制作にも関わり、メインパーソナリティーとして宮崎の魅力を台湾に発信し続けた。その実績が買われ、17年には海外での宮崎県の観光・産業・歴史文化を総合的にPRする「みやざき大使」の委嘱を受けた。また、同じく17年には、台湾のみならず東南アジア各国や豪州でも放映されている、TVBSテレビ局の旅とグルメの人気長寿番組『食尚玩家』の現場リポーターにも、外国人として初めて採用された。夢多自身がずっと憧れていた番組だった。
