1945年8月6日午前8時15分に原爆が投下されたヒロシマは、被爆建物の遺構、犠牲者の遺品や記録を通じて、核の脅威を生々しく伝えてきた。世界各地で戦雲が立ち込める今、さらに存在感は増し、広島市の平和記念公園には国内外から訪問が絶えない。
負の歴史を物語る廃虚「原爆ドーム」
平和記念公園の北東にたたずむ原爆ドームは、世界で唯一、原子爆弾により破壊された状態を保つ建造物である。全国の修学旅行生が訪れる広島の名所であり、1996年にユネスコの世界遺産登録を機に、全人類の“負の遺産”を心に刻もうと訪日客の見学も絶えない。
元々は1915(大正4)年に建てられた「広島県産業奨励館」という物産の収集・陳列施設だった。チェコ人建築家の設計によるモダンな外観を誇ったが30年後、14万人以上の命を奪った人類未曽有の惨劇が起こる。爆心地からわずか160メートルに位置するこの建物も大破した。
戦後間もない頃は、悲惨な記憶を呼び起こすと、取り壊しを求める声もあったという。しかし1960年代に入り、核兵器の脅威を後世に伝える象徴として保存運動が本格化し、補修工事が始まった。
現在は建物内に立ち入ることはできないが、西側の川沿いからは、柵伝いに吹きさらしの内部の様子が垣間見える。敷地は生き生きとした芝生と緑樹に囲まれ、無機質な廃虚とのコントラストが、原爆の脅威、戦争の無慈悲さをより感じさせる。
被爆の実相を伝える平和祈念の殿堂「原爆資料館」
平和記念公園の南に位置し、原爆ドームと対をなす巡礼地が広島平和記念資料館(通称・原爆資料館)である。1955年の開館から70年にわたり、被爆者の遺品や写真を通じて「戦争と核の脅威」を訴え続けてきた。
2023年にはG7サミットで各国首脳が来館し、24年には「日本原水爆被害者団体協議会」がノーベル平和賞を受賞したことで、国際的な注目がさらに高まった。24年度の来館者数は226万人を超え、うち外国人が3割強の72万人と、共に過去最高となった。
2019年には大規模改修に伴い、展示内容がコンセプトから全面的に刷新された。本館は被爆者一人ひとりの物語に焦点を当て、国籍や文化に関わらず、テーマ「被爆の実相」が伝わる構成となっている。
焼け焦げた学生服、8時15分で止まった時計などの遺品には、持ち主の顔写真やエピソードが添えられる。即死は免れたものの、放射能の影響で数年後に病死した被爆女性に迫る展示も胸に響く。核兵器の残酷非道さ、命の重みとはかなさが鮮烈に伝わってくる。
一足早く2017年にリニューアルした東館は、広島市街のジオラマに原爆投下時のCG映像を投影する「導入展示」、原爆の開発と投下の経緯を解説する「核兵器の危険性」、戦時下から現在の核廃絶運動までを追う「広島の歩み」の3ゾーンで構成。タッチパネル式の記録写真や映像資料など、直感的に理解しやすいビジュアル展示を中心にアクセシビリティも重視している。
時系列の展示を追えば、焦土から短期間で復興しながらも、「戦争を繰り返してはいけない」と発信し続ける“平和祈念の象徴”ヒロシマに誰もが共感できるだろう。
犠牲者を悼み反戦を誓う「平和記念公園」
資料館前の広場には、犠牲者の名簿が納められたアーチ型の「原爆死没者慰霊碑」が立つ。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた碑文に、多くの人が手を合わせる。
石碑の前には「平和の灯(ともしび)」が揺らめき、その奥には原爆ドームがそびえる。この灯は1964年8月1日の点火以来、核兵器廃絶まで消えることはないという“反核悲願の象徴”だ。
近くには伝承施設「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」や、身元不明の7万もの遺骨を納めた「原爆供養塔」もあり、園内すべてが祈りの空間となっている。
12万2100平方メートルの緑豊かな平和記念公園は、かつて4400人が暮らす繁華街だった。園内外には他にも被爆建物の遺構や慰霊のモニュメントが点在。散策すればヒロシマの物言わぬ犠牲者たちが、平和の大切さを語り掛けてくる。
取材・文・撮影=ニッポンドットコム編集部

















