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進化し続ける日本酒(5)―初のGI取得県「山形」は、美酒の宝庫―

文化

日本酒は全都道府県で造られているが、その中で、初めて県単位で地理的表示保証制度「GI」(Geographical Indication)の指定を受けたのが「山形」である。GIとは地域の優れた産品に対し、国が保証する制度だ。なぜ山形県の日本酒がGI指定の先駆けとなったのか。山形の日本酒に対する取り組みと魅力を現地からリポートする。

柔らかくて透明感のある山形の酒

山形県の日本酒は今、トップ集団にいる。数々の品評会の好成績、品質の安定感、コストパフォーマンスの高さ、オリジナルの酵母開発、スパークリング酒への取り組みなど、どの角度から見てもレベルは高い。「出羽桜」「十四代」「くどき上手」「上喜元」「山形正宗」など全国的に人気の銘柄も数え切れない。個性を持ちながらも、総じて酒質は柔らかく、味の幅があり、透明感のある美酒の産地として熱い支持を集めている。

舞鶴山から山形県天童市内を望む。冬の寒さは厳しいが、ゆっくりと発酵が進み、きめ細かく柔らかな質の酒ができる

だが30年前、山形の酒は全国では無名だった。県内にある53の酒蔵はいずれも小規模で、主に地元向けに日常酒を造ってきた。全国各地の銘酒どころから選りすぐりの酒が集まる首都圏や関西圏など大消費地では、山形の酒は魅力に乏しかったのだ。

全国での知名度は低くとも地元で愛飲される時代は良かったが、1970年代半ばをピークに日本酒の消費量が減っていく。中でも大半を占めていた日常的に飲む「普通酒」(低価格酒)が、焼酎やウイスキーなど他の酒類に押されて激減。上質で付加価値の高い酒を造って、全国に向けて販売する方向へと転換が求められるようになった。

「民と官」の“チーム山形”

このように酒類の消費動向が大きく変わる中、適応できず廃業した蔵も多い。全国の蔵元が痛みを伴った変革を行ってきたが、山形県の特筆すべき点は、民間と行政がタッグを組んだことだ。スタートは1987年。蔵元が加盟する「山形県酒造組合」が、技術水準アップを目的に県立の機関「山形県工業技術センター」指導の下で、勉強会「山形県研醸会」を立ち上げた。民と官が“チーム山形”として、醸造技術の向上と人材育成に乗り出した。

工業技術センターを定年退職し、現在山形県産酒スーパーバイザーを務める小関敏彦さん

「研醸会」に参加する心構えとして、当時の工業技術センター酒類研究科長、小関敏彦さん(62)が作ったルールがある。試飲したら必ずコメントを発言する、酒は褒めずに欠点を見つける、酒の悪口は造った本人の前で言う、などだ。「蔵元同士が技術も心もオープンにして、高め合う関係になるために作りました」と、小関さんは説明する。心を開く場としては、年1回、1泊の研修が定例となった。研醸会会員が人里離れた旅館に集められ、昼は研修に集中し、夜は振り分けられた部屋で、若者も熟年者も酒を飲みながら、熱い議論を交わしてきた。

蔵元(オーナー)みずからの手で酒を醸す

山形県酒造組合長を務める仲野益美さん。出羽桜酒造4代目蔵元。2016年、出羽桜酒造はIWC(International Wine Challenge)SAKE部門で「Sake Brewer of the Decade」の栄誉に輝いた

県内で、早くに量から質へと転換を果たした酒蔵の一つに、1892年創業の出羽桜酒造(天童市)がある。4代目蔵元(オーナー)の仲野益美さん(56)は、「代々受け継がれてきた家訓は、蔵元も自ら現場で酒を造ること」と言う。1980年、先代の時代に発売開始した「出羽桜 桜花(おうか)吟醸酒」は、高価で庶民が手を出しにくかった大吟醸酒ではなく、上質でリーズナブルな価格の中吟(ちゅうぎん=ミドルクラスの吟醸酒)というコンセプトが、飲み手の心をつかんだ。

「研醸会」に初年度から参加する仲野さんは、「県内には固有の杜氏の里はなく、他県の杜氏のなり手も減っています。季節雇用で他社へ移ってしまう可能性のある杜氏ではなく、蔵元や社員が技術を身に付けるべきというのが、先輩蔵元や工業技術センターの先生方の考え。他県では前例のない画期的なことでした」と振り返った。酵母、酒米などテーマ別に班に分かれて研究発表したり、酒を持ち寄って合評したり、他県から杜氏や流通専門家など講師を招いて話を聞く、といった研修を年に10回の頻度で30年に渡って継続してきた。

仲野さんより一世代若い後藤康太郎酒造店(東置賜郡高畠町)の後藤隆暢さん(41)は、「山形では年上に対しても率直に意見が言える雰囲気があります。しかも皆がレベルの高い酒を造っているので、負けられないと闘志が湧くのです」と言う。

酒談義をかわす(左から)仲野益美さん、小関敏彦さん、後藤隆暢さん

技術をオープンにするため、工業技術センターではデータを一元管理するネットワークを構築。米の水分量や発酵温度経過など100項目を超える酒造に関する数値を、県内の全ての酒蔵から集め、センターで解析した結果を酒蔵へフィードバック。優れた技術を全員が共有できるようになった。また酒造りの時期には、センターの技術者が県内の酒蔵を個別に巡回して指導し、酒蔵に泊まり込むことも多かった。「伝えたかったのは、科学と酒への愛情です」と小関さんは言う。そんな熱血指導官の心意気に、蔵元たちも必死で応えた。

県オリジナルの酵母を手にする工業技術センター食品醸造技術部研究員の石垣浩佳さん。建物内には精米機や酒造設備、麹室も備え、時には泊まり込みで試験醸造を行っている

こうした長年の努力が実を結び、2004年の全国新酒鑑評会において、山形県は金賞の獲得数で1位を獲得。その後も常に上位を維持している。また、製造酒のうち普通酒の占める率が全国平均66%のところ、山形県は22%、純米酒や吟醸酒などプレミアム酒が78%(2017年国税庁統計)。また、県内の酒蔵の製造責任者は全て蔵元か、社員が務めている。

これまでの杜氏は先輩の技を盗みながら、長年の経験を積み上げて腕を磨き、天賦の才に恵まれた者だけが、名杜氏と称賛されてきた。だが、山形県はチームを組み、人々の知恵と熱意によって優れた醸造家集団を養成した。技術の向上と人材育成への取り組みは成功し、ハイレベルな酒を輩出する全国有数の産地へと変貌を遂げたのだ。

「GI」(*1)取得までの道のり

次のステージを目指して“チーム山形”が注目したのは、国が産地を保証するGI制度だ。取得には産地特性が求められるが、山形にはオリジナルの酒米や酵母、種麹がある。ソフトで透明感がある、という味の特徴も明確だ。品質面では、消費者の信頼に応えようと、全ての酒を対象にするのではなく、試飲による審査を通った一定レベル以上の酒だけを認定する方針を打ち出した。メンバーは1987年に「山形県研醸会」を立ち上げ、この他にも、まざまな評価にさらされてきたので、厳正な審査に対して抵抗感はない。大学教授や国税庁鑑定官など県外の審査員も加えた8~10人で、大吟醸、純米などクラスに分けて、年に10回程度の審査を行うことにした。

50社以上ある酒蔵は考え方も異なるため、意見を統一するのは時間がかかったが、品質向上のために真剣に取り組んできた山形だからこそ、他県に先駆けて話は進んだ。構想8年、取り組み始めて5年後、2016年12月に、GI「山形」は悲願の指定となった。18年1月から、マークの入った酒が市場に流通している。

(*1)^「GI」(地理的表示保証制度Geographical Indication)

フランス・シャンパーニュ地方で生産する発泡性のワインに限って「シャンパーニュ」と表示できるように、地域の特徴を持ち一定の基準に達している優れた産品に対して、地域名を名乗ることを許可し、国が保証する制度。山形県内では他に「米沢牛」「東根さくらんぼ」がある。

 

日本酒では他に「白山」(石川県白山地区)、「日本酒」(日本全国)が認定。

 

日本酒は海外からの注目度が年々高まり、2017年の輸出総額は約187億円(財務省貿易統計)で過去最高を更新。山形県は東北6県の中では最高だ。出羽桜酒造でも20年前から輸出を始め、輸出先は30カ国となった。ワインリストに「シャブリ」とあれば、すっきりとした白ワインを思い浮かべるように、GI「山形」マークは日本酒選びの指標になるはずだ。

出羽桜酒造の基幹商品。1980年に大ヒットした「桜花 吟醸酒」、2013年IWC SAKE部門のチャンピオン酒「純米酒 出羽の里」、2008年のチャンピオン酒「純米大吟醸酒 一路(いちろ)」

「ぜひ山形の地に降り立って温泉に入ったり、雪質のいいゲレンデでスキーを楽しんだりしてください。県民が誇りとする米沢牛やサクランボを食べ、柔らかくて透明感のある山形の日本酒を味わっていただけたら本望です」と仲野さんは言う。山形には、故郷をこよなく愛し、互いに切磋琢磨(せっさたくま)しながら酒を醸し続ける、熱き魂の持ち主たちがいる。日本酒リストに「山形」と書いてあったら、彼らの姿を思い浮かべながら、味わってみてほしい。

写真撮影=山同 敦子
シリーズ題字=金澤翔子(書家)

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