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2018/4/9

進化し続ける日本酒(1)—なぜ、いま世界でSAKEなのか—

いまSAKEが世界を熱中させている。その理由は、ニッポンが生んだ酒が、劇的においしく、味も香りもバラエティ豊富に変貌を遂げたからだ。SAKEの世界に革命をもたらしたのは、日本酒の外にもさまざまな酒を知る、新世代の造り手たちだ。日々その姿を変えつつある日本酒造りの現場から、最新のリポートをお届けする。

序論―食通たちのステータス「SAKE」

ここ10年、日本酒の世界が空前の活況を見せている。

世界的な和食の人気に伴ってSAKEは注目を集め、日本酒の輸出量も輸出額も右肩上がりだ。2006年と16年を比べてみれば、量で1.9倍、金額でも2.5倍に達し、年ごとに記録を更新し、大きな躍進を遂げてきた。

世界に飛躍する日本酒の牽引役となった酒蔵の一つが、山口県の山里で「獺祭」を造ってきた旭酒造。2005年には出荷量はわずか216キロリットルに過ぎなかったが、ひたすら上質な酒を造る経営方針に切り替えたことで、13年には売り上げをおよそ10倍に伸ばしてきた。18年には、フランス料理の巨匠ジョエル・ロブションと共同でパリにもショップとレストランを併設した店舗を間もなくオープンさせる。

 

日本酒の酒蔵は海外でも増えつつある。これまでも日本の酒蔵が出資して海外に醸造所を設立することはあったが、ここ10年、日本酒に魅せられた外国人が、それぞれの故国、ノルウエー、スペイン、米国、カナダそして英国などでミニ・ブルワリーを設立するケースが増えてきた。

世界の名だたるソムリエやシェフたちもいまやSAKEに夢中である。著名なフランス人シェフのアラン・デュカスは、フランス料理に合う日本酒を自らプロデュースした。パリやニューヨーク、香港の高級レストランで、日本酒が供される光景はさして珍しくない。SAKEは、和食はもちろん、フランス料理、イタリア料理、中華料理、パシフィックリム(環太平洋地域)料理でもマリアージュを楽しめる。いまやSAKEは世界の食通たちのステータスになっている。

一方で、日本国内に目を向けてみると、日本酒は生産量、販売量とも年ごとに下がり続けている。ピークだった1973年と比較すると約3分の1以下に低迷している。かつて日本酒は、日常酒の主役の座にあった。だが、ビールや焼酎、リキュール類、ウイスキーワインなどに脅かされ、いつしか日本酒は熟年男性だけが嗜(たしな)む、時代から取り残された存在といわれるようになっていた。

だが、大きく落ち込んだのは、安価な量産品だった。純米酒や純米吟醸酒など、プレミアムな日本酒は、むしろ人気を高めていた。とりわけこの10年、若者や女性、日本に暮らす外国人などの新しいSAKEファンを獲得し、メディアでもしばしば日本酒特集が組まれて、その人気は熱気すら帯びている。

現代の日本酒は、それぞれの酒の個性を引き出す形状やサイズ、材質のぐいのみやグラスで味わうと、さらに持ち味を楽しめる。

なぜ、SAKEは今、世界のファンを熱中させているのだろうか。なぜ、トレンドに敏感な日本の若者たちを惹(ひ)きつけるのか。答えは明快だ。おいしい酒を造りたいと願う酒蔵が、腕によりをかけて、魅力的な味わいを湛えた日本酒を造り出したからに他ならない。その日本酒革命の担い手こそ新世代の人たちだった。

代々続く酒蔵の跡取りに生まれながら、日本酒の産業には未来がないと見限り、ニューヨークでファンド・マネジャーとしてセレブな暮らしを送っていた青年がいた。だが自分が生きる舞台は故郷の地にこそあると悟り、わが手で米を育て、地道な酒造りに取り組んだのが、静岡県の小さな酒蔵「喜久醉」(きくよい)の青島孝さんだ。このほか、パリでファッションモデルとして活躍していた「醸し人九平次」(かもしびとくへいじ)(愛知県)の久野九平治(くのくへいじ)さん。あるいはソムリエとしてワインの魅力を伝えていた「仙禽」(せんきん)(栃木県)の薄井一樹さん。彼らの経歴や生い立ちはさまざまだが、日本酒以外の世界を知っていることが共通点だ。これまでは、酒造りの現場は専門職である杜氏(とうじ)に任せるのが常だったが、オーナー一族である彼らが、自ら蔵元杜氏として現場で酒の仕込みを手がけているのも、古い世代との大きな違いだろう。

彼らは自分がおいしいと信じる日本酒を、最新の技術を取り入れながら、丁寧な手仕事で造り上げてきた。日本酒は長い間クリーンでドライな味が最高とされていたが、こうして彼らが手掛けた日本酒は、それまでの日本酒とは、味わいに明らかな違いがあった。

「醸し人九平次」純米大吟醸2016山田錦 EAU DU DESIR(希望の水)。オリーブオイルで味付けしたサーモンマリネに、デコポン(固有種のかんきつ)とイチゴ、トマト、ベビーリーフ類、香草類を載せた香り豊かな冷製料理とよく合う。(協力:「MiwaMiya」東京・阿佐ヶ谷)

400年の歴史を持つ山形県の高木酒造の髙木顕統(あきつな)さんは、15代目の跡継ぎである。髙木さんが、199925歳の時に自ら造りだした酒が「十四代」。もぎたての果物のような新鮮な香りと、たっぷりとしたうま味を作り出すことに成功。その魅力にまず魅入られたのは、首都圏や関西圏など都会に住む人々だった。伝統的な和食だけではなく、フランス料理やイタリア料理を味わい、ワインにも親しんできた食通たちの心を捉えたのだろう。こうして瞬く間に「十四代」は入手困難な酒となり、蔵元(酒蔵のオーナー)で杜氏(醸造責任者)を兼ねる髙木さんは“日本酒再生のプリンス”となった。

日本酒はもはや斜陽産業だとささやかれていた中、「十四代」の目覚ましい成功は、日本酒造りを家業としなければならない若い世代にとって、目指すべき輝ける星となった。こうして小規模な地方の酒蔵の跡継ぎたちが、量ではなく、質と個性で勝負する酒造りに挑むようになった。上質な酒が増えると、彼らは互いに切磋琢磨(せっさたくま)し合うようになり、さらに酒造りの技術は進化していく。その流れは、初めはさざ波であったが、ここ10年で大きなうねりとなって全国に広がりつつある。

これら手作りの日本酒は、手間暇をかけて丁寧に醸されているだけに量産は難しい。だが、上質な材料と進化した技術で、魂を込めて醸した「クラフトSAKE」は、ほかには見られない独特の個性に溢れ、日本国内のファンだけではなく、世界の食通たち、そして第一級のシェフ、ソムリエたちを魅了していった。

シリーズ『進化し続ける日本酒―なぜ、いま世界でSAKEなのか』は、現場の最前線から最新リポートを通して日本酒の魅力を伝えていく。また、コラム『知っていると100倍おいしい酒のABC』も織り交ぜて掲載する。

バナー写真:仏ビストロ料理に合わせて日本酒のみを提供する「MiwaMiya」(東京・阿佐ヶ谷)。店主が料理に合う酒を、うま味を引き出すぐいのみやグラスと一緒に勧めてくれる。

写真撮影=川本 聖哉
シリーズ題字=金澤 翔子(書家)