ニッポンの酒

進化し続ける日本酒(15)―名酒造りを支える清冽な仕込み水「喜久醉」(静岡県)―

文化

日本酒の成分の8割を占める水は酒の質を左右する大切な原料だ。水の特長を最大限に生かした酒を造る静岡県の蔵元を訪ねた。

口当たりが優しく、のびやかな味わいで、和食の料理人たちから支持される「喜久醉(きくよい)」(静岡県藤枝市)。丁寧な手作業と徹底した品質管理、また農家と共に蔵元が自ら無農薬有機栽培で酒米・山田錦を栽培していることでも知られている。さらに特筆すべきなのは、蔵の井戸からくみ上げる仕込み水と、酒の味わいとの共通性だ。仕込み水の質は酒の味に反映されるが、できた酒と水が、飲んで分かるほど似ていることは珍しい。「喜久醉」の味と水の関係を解き明かすために、蔵元で杜氏(とうじ)も兼任する青島孝さん(54)を訪ねた。

3000メートル級の山々が連なる南アルプスを水源とする大井川。川が運ぶ肥沃(ひよく)な土により、流域には穀倉地帯が広がる。

水で決まる酒の味わい

その前に、酒造りにおいて水とはどんな存在なのか、簡単に説明しておこう。日本酒の主な原料は米と水と麹だが、成分の8割は水だ。そのため、水は米と同じぐらい大切な原料だと言う蔵元もいる。酒造りの工程(工程表参照)で水を使うのは、まず精米した米の表面についた糠(ぬか)を大量の水で洗い流す「洗米(せんまい)」と、米を水に漬けて中心部まで吸水させる「浸漬(しんせき)」。序盤の一連の作業で、水の影響を大きく受ける。次に水を釜に投入して米を蒸し、蒸し米の一部で「麹」を造り、できた「麹」と蒸し米、酵母、水を合わせて「酒母(しゅぼ)」を造る。このときにも水の質が影響する。その後、「酒母」に、麹米と蒸し米、水を3回に分けて加えて仕込み、「もろみ」を造る。このアルコール発酵の過程でも、水の質によって酒のタイプが大きく変わる。例えばミネラル分が少ない軟水の場合は発酵がゆっくり進むので柔らかな味わいになり、硬水なら活発に発酵するため、引き締まった味になると言われる。日本の場合はほとんど軟水だが、成分は地域によって微妙に異なっている。

発酵が進んだら、「もろみ」を搾って、酒と酒かすに分ける。出来上がった酒は「原酒」なので、水を足す「割水(わりみず)」をしてアルコール度数を下げる。この時、加える水は酒の味に直接影響する。この他にも水は、加熱殺菌するときの蒸気、タンクや布などの酒造道具、さらに床の洗浄などにも大量に使われる。酒蔵の規模によって使用量は大きく異なるが、日本酒造りには毎日、数トンから数百トンもの水が使われる。

南アルプス大井川水系の恵み

このように酒造りには大量の水が必要であるため、銘醸地は水質が良いのはもちろん、量も潤沢な地域が多い。静岡県中部に広がる志太平野一帯も水に恵まれた場所で、6軒の造り酒屋が集中する。「喜久醉」を造る青島家は、江戸時代中期の享保年間(1716~36年)に、志太平野の中央に根付いた庄屋だった。小作農から米が集まったため、余剰の米と、南アルプスを水源とする大井川水系の清冽(せいれつ)で豊かな水を使って酒造りを行うようになったと、青島さんは推測している。

青島孝さん。河村傳兵衛氏から「傳」の字を授かって、傳三郎という杜氏名を名乗っている。

離れて気付いた故郷の魅力

現在、青島酒造は800石(144キロリットル)と小規模ながら順調な経営を維持し、酒を仕込む前から売り先が決まっている状態だという。しかも、年々、純米吟醸酒などの高額な商品に移行し、利益率も上がっている。だが30年前、経営は厳しかった。

青島さんは、4代目の秀夫さんの長男として生まれた。「父から継げとは言われなかったが、地方の小さな酒蔵に将来性があるとは思えず、家業から逃れるように家を出た」と言う。まず上京し、早稲田大学で経済学を学ぶ。在学中には世界80数カ国をバックパックで放浪。異文化を肌で感じた経験から、グローバルに活躍できる場を目指すようになる。卒業後は、証券系投資顧問会社に入社。その後、1993年に米国・ニューヨークに渡り、ファンドマネジャーとして活躍するようになり、「家業に戻ることはないと思っていました」と当時を振り返る。だが、2年が過ぎたころから充足感が得られなくなってきた。思い悩む日々の中で、近況報告をつづった母の手紙に思いをはせるようになったのは、地道に酒を造る両親の姿だった。目まぐるしく変化する国際証券市場の最先端にいて気付いたのは、半年かけてじっくりと米を育て、手作業で丁寧に造る日本酒という存在。自分が逃げ出した場所で、200年以上も先祖代々続けてきた家業の尊さだった。「見つめ直した自分のアイデンティティーは、故郷での酒造りでした。私が地に足をつけて取り組む一生の仕事はこれだと気が付いたのです」

藤枝宿と島田宿の中間あたり、旧東海道沿いにある青島酒造。木造の小さな酒蔵は江戸時代の風情が漂っている。左から父・青島秀夫さん、孝さん、母・久子さん。

故郷の水で育てた米で酒を造る

自ら酒を造る覚悟を決め、1996年に故郷に戻った青島さん。「富士山の雄姿を眺め、自宅の井戸水を飲んだときはぐっと来て……」と涙をにじませた。その水は、両親が守り続けてきた酒造りの仕込み水であり、稲を育てる水であり、家族の命をつないできた水だ。掲げたテーマは、「この土地でしかできない酒造り」。技術が進んだ現代で、極論を言うなら、設備さえ整えればどこでも良質な酒を造ることはできる。しかし、遠く離れたからこそ、生まれ育った土地の魅力に気付き、その恵みを生かす酒造りを目標に定めたのだ。

酒造りの技術は、静岡県沼津工業技術センターの故・河村傳兵衛(かわむら・でんべえ)氏から指導を受けた。中でも「酒造りは洗いに始まり洗いに終わる」という教えを大切にしている。河村氏は「静岡酵母」(※1)を開発し、温暖なために酒造りに不利とされていた静岡県を一躍、吟醸王国に引き上げた功労者だ。さらに青島さんは地域に伝わる志太杜氏の技も会得。今も河村氏の技術と、志太杜氏の技能を忠実に守って酒造りをしている。その一方で、経験を積んで変わったところもある。「初めは理想に近づけるために、型にはめようとしていましたが、今はこの土地で育った米と水が、なりたいように私が導いてあげるという気持ち」と話す。水に関して言えば、大井川水系はミネラルの少ない軟水なので、もろみの発酵はゆっくりと進む。この特性を最大限生かすために、ゆっくりと溶ける性質の米麹を、通常より長い時間(一般的には48~52時間のところ、72時間)をかけてじっくりと育てる。米麹を造るために、米の蒸し方を見極め、さらにその前の工程となる米の洗い方やどのくらい吸水させるかを決める……というやり方だ。

酸の少ない清涼な味で、静岡型のお手本とされる「喜久醉」。右から純米吟醸、特別純米、地元農家と共に育てた酒米の山田錦で醸した純米大吟醸「松下米40」

生態系の宝庫、田んぼがベース

青島さんが突き詰めるのは、愚直なまでに土地に根差したテロワール(※2)に合った酒造りだ。そして「喜久醉」の魅力は、日本人の暮らしを支えてきた米と、清涼な水が生み出す味である。多くの蔵元たちが海外へ視察に出掛けたり、イベントで試飲販売したりする春から夏の間、青島さんは麦わら帽子をかぶって、水をたたえた故郷の田んぼで雑草取りに精を出している。

山田錦の田んぼを見回る青島孝さん。

バナー写真:酒蔵の地下60mに流れる大井川の伏流水を汲み上げ、仕込み水として使う。感触がやわらかく、飲んだあとは爽やかな印象だ。

写真撮影=川本 聖哉

(※1) ^ 酵母:アルコールを生み出す微生物。ワイン造りにはワイン酵母、日本酒造りには清酒酵母を使う。清酒酵母は日本醸造協会が頒布する「きょうかい酵母」のほかに、各都道府県が開発した酵母がある。

(※2) ^ テロワール:土壌や水、地勢、風向き、気温など、その土地をとりまく環境を表す言葉

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