Jリーグで見せた成長
久保は、2011年に9歳でスペインに渡った。
その前からNHKスペイン語講座のCDを聞き、単語帳を持って勉強していたという。
久保はスペインで、バルセロナの入団テストを受けた。グアルディオラが指揮していた当時のバルサは、革新的かつ魅力的なサッカーで世界を席巻していた。
2週間練習に参加した結果は、合格。
その後バルセロナで過ごした3年半は、サッカーだけでなく、語学力も飛躍的に伸ばした。
バルサの下部組織・カンテラで順調に育っていった久保だが、2014年に18歳未満の外国人選手の登録に違反があったとして、FIFAより公式戦出場停止処分を受けた。
そのため翌年日本に帰国し、FC東京で新しいキャリアを歩むことになる。
久保はマルカ紙のインタビューで、当時をこう振り返っている。
「ただサッカーがしたい13歳の少年が、はっきりとした理由もわからずに母国に帰らされるというのはとても辛いことだった。いまだに、なぜあんなことになったのかも分からない。いいクラブでプレーしたいと思う子供に、それを認めない理由はないと思う」
しかし久保は、この一件を単なる挫折にはしなかった。
久保は16歳でJ1リーグデビューを果たしたが、仮にスペインにいたら、その年齢でのトップデビューはほぼ不可能だ。
スペインと日本とでレベルの差はあるものの、トップリーグで過ごした3年間で身につけたものは多かったはずだ。
途中でレンタル移籍した横浜F・マリノスで初ゴールをあげると、FC東京に戻って過ごした最後の1年間は優勝争いも経験し、印象的な成長を見せた。スペインに戻る直前には日本代表デビューも果たしている。
久保の活躍は、スペインにも伝わってきていた。Jリーグ初ゴールは当然のこと、彼のプレーやゴールは、逐一スペインメディアで報じられた。
そして欧州に移籍できる18歳を迎えると、古巣のバルサ、レアル・マドリー、PSG(パリ・サンジェルマン)など、錚々たるクラブが獲得争いに手を挙げた。
最終的に選んだのは、バルサの宿敵レアル・マドリー。その理由を「僕の将来を考えたレアル・マドリーのプランが気に入った」とマルカ紙に語っている。
「久保はいつかスーパースターになる」
これからの久保は、どのような成長を見せていくのだろう。獲得に奔走したマジョルカのCEO、マヘタ・モランゴが指摘するのは彼の人間性や知性だ。
「久保は18歳には見えない。成功するために模範とすべき存在だと思う。人間としても素晴らしく、ハングリー精神があり、スターとしての扱いをされても冷静に地に足をつけて過ごしている。これは簡単なことではない。彼の家族もハングリーで真面目な方々で、それも影響しているのだろう。私は彼がいつかスーパースターになれると思っている」
その高い技術やパスセンスは、マジョルカでも他を凌駕している。特筆すべきは、幼い頃からバルサで徹底されたであろう、相手と対面した際の間合いの取り方やボールの置きどころだ。
流れを止めることなく、次のプレーに最適な環境を自然に作ることができる感覚。それが彼の足元のテクニックやドリブルの能力を際立たせている。
選手としての特性は異なるものの、この点は世界屈指のプレイヤー、メッシやイニエスタにとてもよく似ている。
マジョルカは残留争いをするクラブだ。その中で久保はまだ、絶対的な先発という立場を獲得できていない。
だが、初ゴールをきっかけに、今後ゴールやアシストなど結果を重ねていけば、彼の元にもっとボールが回るようになるだろう。
技術とセンスは、すでに認められている。定位置を掴んで周囲との連携を高めれば、マジョルカが彼のチームになる可能性すら秘めている。
地元ファンも大いなる期待をかけている。久保がピッチに立つとき、観客席には「クーボー! クーボー!」という低い声が響く。それは島の片隅にある真っ赤なスタジアムで、おなじみの光景になりつつある。
ビッグクラブのマドリードとは違う、落ち着いた環境でサッカーに没頭する日々。
18歳から19歳への1年間は、未来の久保を形成する大切な期間になるだろう。
(バナー写真=プレシーズンにはレアル・マドリーで、才能の片りんをみせた久保 写真:Yukihito Taguchi)

