江戸の架空の町を舞台にしたマンガ『神田ごくら町職人ばなし』(坂上暁仁)は、名もなき職人たちの手仕事と心意気を表現する秀作だ。損得を度外視して極みを目指す職人たちの姿は、取材を重ねてコマを描き込む作者自身の姿にも重なる。作者は本作で2024年に手塚治虫文化賞「新生賞」を受けた。

緻密な筆致で描く職人の心意気

本作は、江戸・神田の架空の街「ごくら町」を舞台に、人々の暮らしを支える道具や住居を作る名もなき職人たちを描いたオムニバス作品だ。第1巻には桶(おけ)職人、刀鍛冶、紺屋、畳刺し、左官の5職種に焦点を当てた計7話を収録している。

まず圧倒されるのは、その並外れた画力である。伝統の手仕事が、極めて緻密な筆致で再現されているのだ。例えば桶職人の話では、サワラ材と杉材の木目や風合いを描き分け、畳刺しの回では古畳と新畳の質感の違いを見事に表現した。電気がない時代の静謐(せいひつ)な暗さ、行灯(あんどん)の揺らめく明るさなど、光の描写も美しい。当時の人々の暮らしの息遣いを伝える表現に一切の妥協が見られない。

細部へのこだわりを通じて、作者が描き出そうとしているのは職人たちの「心意気」だ。職人にとって労働の対価は、決してお金を得ることだけではない。見えない部分にこそ全力を尽くし、最高のものを作る情熱に燃える。手がけたものが正しく使われ、長く愛され続けることなど、使い手側の真心こそが最大の原動力となるのだ。

中でも1巻の『刀鍛冶』における、仕事場での刀匠の表情には総毛立つ。自身が鋼を打った刀が罪なき子どもを斬った、その事実を知った主人公の心境が、言葉ではなく、ただ黙々と作業に向き合う姿だけで雄弁に語られている。

『神田ごくら町職人ばなし』リイド社 1巻「刀鍛冶」 ©︎ 坂上暁仁/トーチweb
『神田ごくら町職人ばなし』リイド社 1巻「刀鍛冶」 ©︎ 坂上暁仁/トーチweb

コマに命を吹き込む情報収集

1994年生まれの作者は、2020年、リイド社の時代劇マンガ誌「コミック乱」に読み切り短編(のちの単行本1話となる『桶職人』)を発表。その後、約2年の不定期掲載を経て、22年10月に同社のWebコミックサイト「トーチweb」にて連載を開始した。作者は1話ごとに膨大な資料を読み込み、取材を重ねており、不定期での掲載が続いている。

過去のインタビュー記事によれば、資料集めには短くても2カ月、長ければ半年もの歳月を費やしている。歴史資料館などにも足しげく通い、当時の建築に関する「工事報告書」の図面や工法、寸法や材質などにも目を通すというから驚きだ。また、実際の工房に赴いて職人から詳細に聞き取り、自らも作業を体験することもあるという。まるでタイムスリップして見てきたかのような江戸職人の姿は、こうした綿密な情報収集のもとに生み出されている。

『神田ごくら町職人ばなし』リイド社 1巻「桶職人」 ©︎ 坂上暁仁/トーチweb
『神田ごくら町職人ばなし』リイド社 1巻「桶職人」 ©︎ 坂上暁仁/トーチweb

作者は24年に本作で手塚治虫文化賞「新生賞」を得た。主催する朝日新聞社は「江戸の職人の技に込めた思いを卓抜した画力で描いた独自性」を授賞理由に挙げた。ほかに「このマンガがすごい!2024」オトコ編3位、「マンガ大賞2024」3位など各ランキングで上位に入った。

アニメ化やキャラクタービジネスなどを伴う大規模な海外展開はないが、作品そのものの力で世界にも読者を広げている。25年1月に韓国語版、同年7月に米国のYen Pressから英語版が刊行された。英語版は米国図書館協会(ALA)の「2025年大人向け優秀グラフィックノベル」の推薦リストに選ばれ、米コミック情報サイト「Comics Beat」は、伝統的な職人仕事へのラブレターだと評した。台湾、スペインでも出版されている。

技への自負が生む人間ドラマ

1巻はオムニバス形式で、「畳刺し」を除くすべての話で女性職人が主人公として活躍する。

作者は2023年の女性誌のウェブ版「anan web」のインタビューで、「“仕事”や“技能”を描くにあたって、ジェンダーや性別を、自分は特段意識していません」と語っている。だが、結果として、女性を職人として据えた構成により、技の美しさや、黙々と手仕事に向き合う姿を際立たせている。この設定が、現代の読者を作品世界へとスムーズに引き込む格好のフックとなっている。

江戸職人という硬派な題材に対し、汗と怒号が飛び交う師弟制度や男の意地、任侠(にんきょう)的な世界観をイメージする人は多いだろう。もし、最初からそうした色合いが前面に出ていたなら、読者を選ぶ作品になっていたかもしれない。技能と物づくりの厳しさを女性の姿を通じて描き出したことで、時代や性別を越えた仕事に関する普遍的な物語として受け入れられやすくなるのだ。

しかし、これは現代の価値観に合わせたフィクションではない。史実に目を向けても、例えば江戸中期から後期にかけて、備中(現在の岡山県西部)で活躍し「女国重」と称された大月源などの実例もある。

26年に刊行された2巻は、1冊丸ごと「建具職人」の生きざまと成長を描いた長編だ。主人公は、腕は悪くないもののばくちに溺れ、道具の手入れも怠る惣次。親方から「意気地のねえ職人なんざいらねえ」と突き放されてしまう。嫌気が差した惣次は、道具を売って入り浸った賭場で渡世の争いに巻き込まれる。窮地で再び建具と向き合う中、親方が道具にこだわり、仕事に魂を込めていた真意に触れ、本物の職人として目覚めていく。

師弟関係を軸に、ひとりの若き職人が挫折から「意気地」の真髄を理解していくプロセスが描かれる。激しい剣劇などの動きのある見どころも加わり、物語はよりスケールの大きな人間ドラマへと深化し、作品の核となる職人哲学が圧倒的な説得力をもって迫ってくる。

『神田ごくら町職人ばなし』リイド社 2巻「建具屋」 ©︎ 坂上暁仁/トーチweb
『神田ごくら町職人ばなし』リイド社 2巻「建具屋」 ©︎ 坂上暁仁/トーチweb

マンガ家という職人

本作が掲載された雑誌「コミック乱」やその姉妹誌の執筆陣には、時代劇のそうそうたる名手が名を連ねてきた。そのひとりが、戦国武将・黒田官兵衛の生涯を扱った『黒田・三十六計』の故・平田弘史だ。彼もまた徹底した時代考証に基づき、武士の世界を描き切った。時には筆を止め、1コマに魂を削り続けた平田の姿勢は、まさに職人だった。

坂上暁仁が紡ぐ『神田ごくら町職人ばなし』に宿るすごみもまた、偉大な先達(せんだつ)が切り開いた「時代劇画の職人性」の系譜に連なるものだ。直接的な影響が無かったとしても、それは変わらない。江戸の職人たちが道具や技にプライドを懸けたように、坂上自身も綿密な取材と考証を重ねることで、作品に命を吹き込んでいる。

今日、人工知能(AI)作画も盛んになり、作品名も作者も意識されないまま膨大なマンガが描かれ、読まれている。それはそれでマンガのひとつの形だが、それだけでは生み出せない世界が確かにある。効率化が進む現代社会で、損得を度外視して極みを目指す職人かたぎの作品から、私たちは生きる上での「心意気」を学び、その熱量に心打たれることだろう。

坂上暁仁という若き「職人」が次に生み出す世界をこれからもじっくりと待ちたい。