ジブリ作品として初の大ヒット作となった『魔女の宅急便』は、童話作家・角野栄子による原作とはかなり異なる。宮崎駿の女性に対する期待や理想を投影した“フェミニズム的”映画であると同時に、思春期の少女の心身の変化を繊細に描き出した特異な作品だ。
一人4役を担う超人ぶり
『魔女の宅急便』は、1989年7月29日に公開された。宮崎駿監督の劇場用長編アニメーション第5作である。
企画がジブリに持ち込まれたとき、まだ『となりのトトロ』(1988)を制作中だった宮崎は、当初、プロデューサーのみを担い、監督は外部の若手を起用する方針で、後に『この世界の片隅に』(2016)が代表作となる片渕須直(かたぶち・すなお)などが候補に挙がっていた。だが、最終的には、宮崎がプロデューサー、監督、脚本、絵コンテの4役を務めることになった。実に2年連続で、極めてクオリティーの高い長編を発表したわけで、当時、40代後半だった宮崎の旺盛で超人的な仕事ぶりがうかがわれる。
原作は、角野栄子による同名の児童文学シリーズで、85年に刊行された第1巻の前半部分を元にしているが、物語はかなり改変されている。
魔女の血を受け継ぐ13歳の少女キキが、古くからのしきたりに従い、満月の夜に黒猫のジジと共に故郷を旅立ち、海に面した美しいコリコの街で修行のためにパン屋に居候しながら宅急便の仕事を始める。その過程で丸眼鏡の少年、トンボをはじめさまざまな人々と出会い、自身も成長していくファンタジーだ。
「宅急便」は、ヤマト運輸の登録商標であり、その縁からも同社が製作委員会に参加している。さらに、2023年にジブリを子会社化する日本テレビが本作で初めて出資し、大々的な宣伝を展開した。その効果もあり、それまでのジブリ映画は興行的には振るわなかったのに対し、89年公開の日本映画最大のヒットとなる興行収入43億円、観客動員数264万人を記録、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978)が保持していた当時のアニメーション映画の歴代興行収入最高記録も塗り替えた。
キキに託した“新しい”女性像
角野の原作は、童話ならではのファンタジー性が濃い。だが宮崎は、主人公キキの持つ魔女由来の飛行能力をあくまで「個人に備わる才能・特技の一種」として位置付け、思春期を迎えた少女が自分の特技や個性を生かして独り立ちしていくという現実的な視点に立って描いた。
この点も踏まえて、本作は宮崎の女性に対する期待や理想が仮託された、独特の「(男性作家による)フェミニズム映画」として読む視点がありうる。
例えば、日本の批評的文脈ではこれまでもしばしば指摘されてきたように、こうした宮崎のアニメーション版が角野の原作よりも明確に打ち出した「少女(女性)の自立」や「女性の社会進出」といったモチーフは、一つには、宮崎が青年時代に所属していた東映動画(現在の東映アニメーション)での職場環境や組合経験が背景にある。そこで奥山玲子や保田道世、(後に宮崎の妻となる)大田朱美(あけみ)といった数多くの女性アニメーターやスタッフが自立的に創作に参加し、労働条件改善に奮闘しているのを目の当たりにし、宮崎は大きな感化を受けた。本作をはじめ、『紅の豚』(1992)や『もののけ姫』(1997)、『千と千尋の神隠し』(2001)など、宮崎アニメに「働く女性」がしばしば登場するのも、それが理由である。
そしてもう一つは、上記のモチーフが、映画公開当時(1980年代後半)の日本社会における女性のさまざまな社会的規範意識や位置付けの変化を如実に反映していることである。原作が刊行された翌年の1986年、「男女雇用機会均等法」が施行された。これ以降、労働環境での女性の差別的待遇が是正され、女性の社会進出が進んでいくことになる。話題になった「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」のキャッチコピーとともに、宮崎がキキに仮託したのは、男性社会の中で生き生きと働いて自らのアイデンティティーを見いだしていく80年代の新しい女性たちの姿だった。
思春期の少女の生理的変化を描く
『魔女の宅急便』は、女性の社会的立場の変化とともに、思春期の少女の心身の変調を、日本のアニメーション史上前例のないほど、繊細に描き出そうとした点でも特異な作品である。
物語の後半、宅急便の仕事を通じて仲良くなりかけたトンボとひょんなことからギクシャクし始めた矢先、キキはジジの言葉が理解できなくなり、空を飛ぶ能力を失い、アイデンティティーの危機に陥る。クライマックスで、巨大飛行船の事故により空中で宙づりになったトンボを救わなければという強い思いが飛行能力を呼び覚まし、大事な友人を無事に助け出す。この体験を通じて、アイデンティティー・クライシスを乗り越えるのだ。
この出来事によって、キキはコリコの街の人々に広く認知される。また、それまで一種のイマジナリー・フレンドのように会話していたジジが引き続き人間の言葉を発さなくなっていることによって、キキが幼少期を本格的に脱し、社会的に自立した「大人」になったことの分かりやすい寓意になっている。しかし、さらに踏み込んで考えれば、第二次性徴を迎えた思春期の少女の身体能力が変調を来し、より成熟した状態に変化したという意味では、この一連の展開は初潮(月経)の隠喩とも解釈できるだろう。
実際に、宮崎は制作中、本作のポスター案の一つに、思春期の少女を表現しようと、トイレの便座に座って物憂げな表情をしたキキの絵を提案している。この案は結局、さすがに“誤解を招く恐れがある”という理由で却下されたそうだが、本編中でも、キキがグーチョキパン店に居候になった翌朝、部屋の外にあるトイレに駆け込む場面が描かれている。
これまでほとんど言及されたことがないと思うが、本作をはじめ、ジブリ作品は女性に見られる成長過程での生理的変化―月経をしばしば作中で描いてきた。
典型的なのは、高畑勲作品だろう。『魔女の宅急便』に続いて製作された高畑の『おもひでぽろぽろ』(1991)では、主人公の岡島タエ子の小学5年生の回想シーンの一つに、同級生のリエをめぐる生理のエピソードがある。
また高畑は、遺作となった『かぐや姫の物語』(2013)でも、かぐや姫が初潮を迎えた場面を描いた。また、その描写は高畑・宮崎以外の作品にも見られる。スタジオジブリが、TVスペシャルとして1993年に放映した望月智充(ともみ)監督の『海がきこえる』では、高知空港で体調が悪くなったヒロインの武藤里伽子が、主人公の杜崎拓(もりさき・たく)に「あたし生理の初日が重いの。貧血を起こして寝込むこともあるのよ」と語る。ここまで連綿と、女性の月経にまつわる描写を作品で描いたアニメスタジオは、おそらく世界的に見てもまれだろう。
こうした背景を考慮すると、『魔女の宅急便』は、日本のアニメーション史において特筆すべき、独特のフェミニズム的視点で見られる作品であるといえる。これまでのジブリのフィルモグラフィは全て男性監督によるものでありながら、ジェンダー的な観点からも語られることが多い。本作はその指標的な一作だろう。



