舞台『時光の手箱〜我的阿爸和卡桑』に出演する日本人たち

文化 美術・アート エンタメ

日台ハーフの作家・一青妙さん原作、主演の舞台劇『時光の手箱』が7月22日から8月7日にかけて、台中、台北、台南の各都市で上演される。そこには一青さんを含めて4人の日本人俳優が出演するという異例のキャストだ。日台をつなぐ物語を、台湾に根ざす俳優たちはどのように演じるのだろうか。

2年半ぶりの台湾へ

2022年6月末、台湾の松山空港に降り立った。コロナ禍で、実に2年半ぶりに乗り込んだチャイナエアラインの最新型エアバスA320neoで、機内食の排骨飯(スペアリブご飯)を食べながら、一足早く台湾の味を楽しんだ。観光では入国制限が残る台湾に行くことになったのは、舞台『時光の手箱〜我的阿爸和卡桑』(以降『時光の手箱』)に出演するためだ。

舞台『時光の手箱』は、拙著『私の箱子』と『ママ、ごはんまだ?』を原作とし、2019年に台北と高雄で初演された。コロナの影響で、2020年と2021年の再演が中止となり、今年も5月からの感染拡大で黄色信号が灯った、がどうにか上演が決まり、稽古が始まっている。

1940年代から1980年代にかけて私の家族が体験した物語が舞台の内容だ。日本統治時代、政治や経済に影響力を持つ5大家族のひとつ、基隆の顔家の長男として生まれた父・顔惠民と、日本人の母・一青かづ枝が登場する。戦前に「日本人」として生まれ育ち、終始アイデンティティに悩み続けた父の苦悩と、台湾の社会や家庭に一生懸命に溶け込もうとする母の努力が細かく表現されており、セリフの6割は日本語が使われている。

舞台を出演し、2年半ぶり台湾に行った一青妙
舞台を出演し、2年半ぶり台湾に行った一青妙

特記すべきは、8人の出演者のうち、私を含め、4人が日本人だということ。スタッフのなかにも、日台のハーフや日本に留学した経験を持つ者が多く、日本語がかなり通じる珍しい舞台現場になっている。

「おはようございま〜す」

「おはよう!」

「今日もよろしくお願いします」

午後1時、台北の華山1914文創園区の一室で、当たり前のように日本語であいさつが交わされ、稽古が始まる。

大久保麻梨子:10年演じ続けたい

いつも笑顔で元気なのは、母・一青かづ枝役を演じる大久保麻梨子さん。2011年から芸能活動の拠点を日本から台湾に移し、数多くのCMやテレビドラマに出演している。台湾での舞台出演は本作が初めてだ。

2016年、大久保さんは台湾人と結婚した。一青かづ枝も日本から台湾に嫁いできたので、演じやすいのかと思えば、そうではないという。

一青かづ枝が台湾で暮らしたのは1970年代。言葉も風習も分からず、台湾に単身乗り込んだ。それに比べ、大久保さんは、台湾を訪れ、好きになり、言葉を学び、生活の拠点を移し、それから台湾人と結婚した。結婚した相手のために何かを変えたり、何かをしたりする、ということではなく、自分がしたいと思ってやってきた結果の先に、国際結婚があったというのが、一青かづ枝と大きく異なる点だ。

母・一青かづ枝役を演じる大久保麻梨子さん
母・一青かづ枝役を演じる大久保麻梨子さん

時代の変化により、日本との往復も手軽になり、インターネットや携帯電話で日本にいる家族と連絡もすぐに取ることができる。

「かづ枝さんはすごくすてきな人だと思います。リアルな台湾生活を知っているからこそ、今よりも大変だった時代を想像すると、本当にたくましい」

家族との繋がりを大切にするのが台湾人だ。日本からきたお嫁さんとして、夫の家族とほどよい距離感を見つけ、台湾媳婦(台湾の嫁)としてしなやかに台湾での生活を楽しんでいる。

「この舞台、同じ脚本でも毎回新しい作品をやっている感じで、煮込めば煮込むほど味が出る料理のようです。5年、10年と演じ続けていきたい」

目を輝かせながら話す大久保さんから、今回の再演を、誰よりも喜んでいる様子が伝わってきた。

蔭山征彦:「日本人に見て欲しい物語」

劇中で、大久保さんのパートナー・顔惠民役を演じるのが、蔭山征彦さん。初めて台湾を訪れたきっかけは、1999年台湾中部大地震の通訳としてだった。以来、テレビドラマや映画に出演するだけでなく、ナレーター、監督、脚本家として、マルチな活躍を続けている。

再演にあたり、新しいキャストとして加わった。もちろん、大久保さんとも面識があるが、一緒に舞台に立つのは初めてだ。童顔で、年齢よりも若く見える外見。照れ性なのか、夫婦役を演じる大久保さんから、「めちゃくちゃ照れていますよね」とつっこまれ、頬を赤らめていた。

顔惠民役を演じる蔭山征彦さんと大久保麻梨子さん
顔惠民役を演じる蔭山征彦さんと大久保麻梨子さん

舞台のことになると、蔭山さんは真剣なまなざしで語り始める。

「台本を見たとき、これこそ、日本人に見て欲しいと思いました」

20年以上台湾で暮らし続けてきたから、見えてきたものがある。日本における台湾ブームがあっても、それは、台湾の食に興味があるだけで、かつて日本統治時代や、台湾での使用言語などについて何も知らない人が多く、そのギャップに気づき、悲しくなることもあるという。

蔭山さんの演じる顔惠民は、終戦を迎え、中華民国となった祖国に戻ったが自分の居場所を見つけられなかった人だ。そんな人物を演じることに「大きな責任がある」と蔭山さんは声を落とした。

長年役者をやっていても、その年齢にならないと、理解できない役がある。5年、10年前の自分には、できない役だった。導かれる運命によって、今、顔惠民という役を自分なりに解釈し、観客に伝えたい、と稽古に励んでいる。

舞台が終われば、初の長編映画の撮影に取り組む予定だ。

米七偶:在台日本人俳優の草分けとして

大久保さんや蔭山さんよりもっと早くから台湾に移住し、唯一無二の存在感を出しているのが、米七偶(みちお)さんだ。本名は林田充知夫(みちお)。中国語で「ミチオ」と発音する米七偶を芸名とした。

細身で口ひげを生やし、やや白髪混じりの米七偶さんは、今年66歳になる。CMや映画、MVで、日本兵からお父さん、ヤクザなどいろいろな役柄を自由自在に演じ分けてきた。台湾人ならどこかで一度は米七偶さんを見かけているので、「最熟悉的陌生人(もっとも身近な見知らぬ人)」と言われている。

本名林田充知夫(みちお)の米七偶さん
本名林田充知夫(みちお)の米七偶さん

台湾にたどり着いた経緯がユニークだ。日本で公務員として働いていた1980年代、台湾人女性と知り合い、結婚し、子供を2人授かったが離婚。母親と一緒に台湾に行ってしまった子供たちに会いたいがために、2000年から台湾へ移住した。役者になったのは日本人中年の役柄で希少価値があったことも関係している。

「台湾では、おじさんで、いつでも動ける日本人がいなかったから、チャンスがあった。今回の舞台も同じです」

米七偶さんの飄々とした独特の語りは人々に深い印象を残す。

劇中では、一青かづ枝の初恋の恋人役・臼倉役を演じている。ちなみに、私生活では台湾人と再婚し、一児のパパとして、忙しい毎日を送っている。

アイデンティティの大切さ

台湾の芸能界で活躍することを夢見て、台湾に移住する若者はますます増えているが、理想と現実の違いに気がつき、日本へ引き返す者も多い。

台湾で長く活躍する日本人役者は、誰もが台湾を熱愛し、台湾で骨を埋めたいものだと思っていた。ところが、人生の最期をどこで迎えたいか、という質問に対し、大久保さんは「分かりません」、蔭山さんは「台湾は仕事の場」、米七偶さんは「こっちにいる間に人生が終わるかもしれない」と答え、三者三様だった。

2022舞台『時光の手箱』のポスター
2022舞台『時光の手箱』のポスター

無理に意気込まず、自分のペースで、したたかでいることが生き残る秘訣(ひけつ)なのかもしれない。

舞台『時光の手箱』に対して、大久保さんと蔭山さん、米七偶さんは、それぞれの立場から共感する部分を持ってくれていることが分かって少し安心した。

一方、私は一青妙という現実の役名で出演し、娘として家族の過去を振り返っている。つまり、舞台回しの役割だ。

日本統治時代に生まれ育った台湾人と、異国に嫁いできた日本人。その間に生まれた日台のハーフとして、特に大切だと考えているのが、果たして自分は何者であるとかという「アイデンティティ」だ。アイデンティは小さなものからでも生まれる。家族の優しい言葉や家庭料理の大切さを思い出しながら、私は自分の中の日本人の部分と台湾人の部分を再確認することができた。

私にアイデンティティの大切さを教えてくれたこの物語を、日本と台湾両方の血を受け継ぐものとして、次の世代に語り続けなければならない。同時に、近い将来、日本での上演を実現させたいと心の中で決意している。

『時光の手箱』は、アイデンティティの大切さを教えてくれたこの物語である。
『時光の手箱』は、アイデンティティの大切さを教えてくれた物語である。

写真提供:影想文化芸術基金会

バナー写真:『時光の手箱』は、一青さんを含めて4人の日本人俳優が出演する舞台劇。(撮影:羅偉仁)

芸能 台湾 文化 舞台