バーテンダーを志してから17年、台北で出店する
デザイナーを続けながらも、夜の帳(とばり)が下りると、川嶋の足は自然とバーへと向かった。あちこちのバーを巡っては、カウンター席に陣取り、バーテンダーの仕事を見つめ、自身のスタイルとの違いを分析しては楽しんでいる自分がいた。
ちょうどこの時期、川嶋は少年時代の一時期を過ごした台湾に足しげく通うようになっていた。台北日本人学校の同窓生たちとの交流もあり、もともと台湾には関心を持っていた。何より喜怒哀楽をはっきりと表現し、人間味あふれる台湾の人たちが好きだった。台湾関係の書籍も読みあさった。自分がかつて住んでいた場所を再認識するたびに、台湾をいとおしく感じ、いつか台湾に恩返しをしたいという思いが芽生えていった。将来自分の店を開くとすれば台湾しかない。川嶋はそう確信するようになっていた。
2人目の恩師・堀江の予言通り、34歳の年に芦屋の「The Bar」で再びバーテンダーの仕事に戻った川嶋は一念発起した。翌年学生ビザを取得すると台湾に渡り、中国文化大学で中国語を学び直した。そして、バーやレストランでアルバイトをしながら、台北市内で自分の店を開く準備を着々と進めた。途中1年ほど古巣の「The Bar」に戻り、それまで関心の薄かったフルーツ系カクテルも習得した。フルーツ王国の台湾でそれを生かさない手はない。
2016年11月、満を持して自らオーナー・バーテンダーを務める「Bar Between」を台北市内にオープンした。繁華街から一本離れた通りに出店することには、当初周りの知人たちからは反対された。しかし、川嶋は自分の直感を信じた。店の窓越しに小さな公園の緑が見える風景が決め手だった。店名はこの店を日本と台湾との間の懸け橋としたいとの思いから付けた。遅咲きのバーテンダーが異国の地でついに花を咲かせた。21歳の時にバーテンダーを志してから17年の歳月が流れていた。
その翌年、芦屋に帰省した際、これまでずっと果たせなかったことを行なった。最初の恩師である中山の墓参りだ。「君はきっと成功する」と言ってくれた師の言葉は、この十数年間いつも川嶋に寄り添ってくれた。ようやくお礼が言えた。人としての心構えを中山から、仕事の段取りを堀江から、バーテンダーとしての技術を小田からそれぞれ教わった。これらの恩師たちとの出会いによって、バーテンダー川嶋義明が完成したと言っても過言ではないだろう。
