NPBより米野球留学を選ぶ球児たち:佐々木麟太郎に続くMLBへの道は定着するのか
スポーツ 国際・海外- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
ソフトバンク1位指名を蹴った佐々木
7月23日(日本時間同24日)、米国マイアミで開かれた記者会見で、佐々木は通訳を介さず、よどみない英語で入団への思いを語った。
「厳しい道のりになるが、自分のやるべきことをやり続ける。打撃、守備、走塁、フィジカル面を含めたすべてにおいて、向上するように努力するつもりです」。そう述べた佐々木は「私は英語のネイティブスピーカーではないので、まずは英語、そして同時にスペイン語も勉強したい」と野球以外の目標も口にした。中南米系の移民が多いマイアミのファンを意識したコメントだろう。
ドジャースの大谷翔平選手、エンゼルスの菊池雄星投手の2人は岩手・花巻東高の先輩にあたる。同校の佐々木洋監督は父であり、麟太郎は高校時代に通算140本塁打を放った左の強打者として注目された。だが、卒業後は日本のプロには進まず、選んだのは名門スタンフォード大学への留学。全米大学体育協会(NCAA)のディビジョン1(D1)に所属する強豪だ。
日本の大学に在籍する選手がプロ入りするには、全日本大学野球連盟に「プロ野球志望届」を提出しなければならない。原則的には最終学年である4年生(または4年以上の在籍者)が対象となる。
MLBのドラフト指名は、4年制の大学なら3年以上の在籍か21歳以上が条件だ。佐々木は今年4月に21歳の誕生日を迎えてその対象となった。ただし、MLBの指名対象選手は、前年の日本野球機構(NPB)ドラフトでも指名が可能となる取り決めがあるため、昨秋のドラフトで福岡ソフトバンクホークスと横浜DeNAベイスターズが名乗りを上げ、くじでソフトバンクに指名権が与えられた。

米スタンフォード大・佐々木麟太郎内野手の交渉権を獲得し、インタビューに答えるソフトバンクの城島健司チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)=2025年10月23日、東京都内のホテル(代表撮影、時事)
にもかかわらず、佐々木が最終的に選んだのは、7月のMLBドラフトで8巡目指名(全体235位)を受けたマイアミ・マーリンズだった。
佐々木の先輩である大谷は、高校卒業後にメジャー挑戦か日本のプロ野球に進むかで悩んだ結果、まずは北海道日本ハムファイターズでプレーする道を選び、投打の「二刀流」で力をつけて大リーグへ。菊池も埼玉西武ライオンズで9年間の実績を積んでメジャーの世界に足場を移した。
大谷や菊池のように、日本球界にはNPBを経てメジャー挑戦という流れができつつあった。それだけに、佐々木のような新たなルートからの米球団入りは、日本球界にとっては衝撃だったはずだ。今後、同様の進路を選ぶ選手が増える可能性も否定はできない。
今年は横浜高の織田翔希投手がプロ志望届を提出。NPB入りだけでなく、将来的なメジャー挑戦も含めて進路が注目されている。

日本ハムの入団記者会見で、質問に答える岩手・花巻東高の大谷翔平投手(中央)。右は栗山英樹監督、左は津田敏一球団社長=2012年12月25日、北海道・札幌市内のホテル(時事)
米大学経たメジャー1号は西田
今シーズンの途中には初のメジャー昇格を果たした小柄な日本人選手が話題になった。シカゴ・ホワイトソックスの西田陸浮(りくう)外野手である。身長168センチ、体重68キロ。メジャーデビューを果たした5月のミネソタ・ツインズ戦では右翼からの見事な本塁返球で強肩を披露し、初出場初安打もマークした。
大阪府出身の西田は、ダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)らを輩出した強豪、宮城・東北高に進んだが、県大会で敗れて甲子園の土は踏めなかった。高校卒業後は米国の大学に留学して活躍し、2023年のMLBドラフトでホワイトソックスから11巡目(全体329位)指名を受けた。日本の高校から米国の大学を経てメジャーリーガーとなった「第1号」の誕生でもある。
「自分は米国の大学のセレクションでスリーベースを打ったことで、そこの大学からオファーがあり、あのヒットのおかげで今の自分があります。大変な事もたくさんありましたが、米国の大学野球に挑戦できて本当に良かったです」
メジャー昇格時、西田はそのようなコメントを発表し、留学が自分の道を切り開いたことを強調した。シーズンを通してメジャーに定着はできなかったが、ホワイトソックス傘下の3A、シャーロットに降格後もチーム随一の成績を残した。

メジャー初昇格を果たしたホワイトソックス西田陸浮。ツインズ戦に9番右翼手として初出場し、安打を放つ=2026年5月25日、米国・シカゴ(AFP=時事)
実力次第で奨学生
佐々木や西田が脚光を浴び、今後、米国の大学に野球留学する高校生が増えることも予想される。
西田の留学をサポートしたのは、「アスリートブランドジャパン」というスポーツ留学を手掛ける会社だ。同社の根本真吾代表はかつてスポーツ用品メーカー、ミズノの米国法人本社に勤務していたが、「日本人アスリートのキャリアの道を広げたい」との思いから独立し、2003年に創業。野球、サッカーを中心にこれまで1400人近い選手の米国留学に携わってきた。
「増えてきたのはここ1、2年ですね。佐々木選手がスタンフォードという超有名大に行ってメディアの取り上げ方が圧倒的に多くなった。留学を手伝う会社も急増している印象です」
アスリートブランド社では今夏、高校3年生や硬式野球部の在籍者・経験者を対象に日本国内で2度のセレクションを行い、約40人の高校生が練習会に参加した。その模様は動画で撮影され、入部の可否を問うため、米国の複数の大学へ送られた。9~10月には米国現地でのセレクションも2回に分けて実施。例年、20人前後が参加して最終的には10~15人ほどが留学を決めるという。
留学が実現すれば、学費や生活費で年間2万~2万5000ドル(約300万~375万円)程度が必要になり、保護者の負担は大きい。しかし、米国の大学では優秀なスポーツ選手への奨学金制度が整備され、活躍次第で奨学生に選ばれるチャンスもある。
野球以外のキャリア形成も
根本代表は「西田選手の例が野球留学のモデルケースといえる」と語る。西田はまずオレゴン州にある2年制大学の「マウントフッド・コミュニティ・カレッジ」に入学。そこで2年間プレーし、好成績を残した後、NCAAのD1に所属する4年制のオレゴン大学に編入。返済不要の奨学金を受けて1年プレーし、MLBのドラフトで指名された。
「将来は経営者になりたい」という夢を持つ西田は、プレーを続ける傍ら、野球やチアリーディングの留学支援を手掛ける会社も設立。自らの留学で培ったノウハウや語学力をもとに新たな可能性を模索している。
西田のように、高校球児が野球留学の道を選ぶ背景には、選手としてだけでなく、英語の習得によって開けるキャリア形成の道もあるからだろう。

2025年9月に米国で行われたセレクションに参加した日本の高校生たち(アスリートブランド社提供)
スポーツが「言葉の壁」取り除く
近年、海外に留学する学生が減り、若者の「内向き」指向が強まっているとの指摘は少なくない。海外の機関が把握している日本人留学生(主に学位取得を目的とする長期の留学)の数を文部科学省が集計したところ、2000年前後の約8万人をピークに減少し、23年は5万139人。コロナ禍前の6万2000人の水準にまだ戻っていない。
高校生の留学に対する意識も、文科省の23年度調査では「言葉の壁がある」「海外の治安が不安」「留学方法、外国での生活、勉強、友達関係の不安」「経済的に厳しい」などを理由に「留学したいと思わない」が65.2%を占める。
だが、スポーツ留学では反対の傾向が表れているようだ。世界のスポーツ界がグローバル化し、欧米のリーグで活躍する日本人選手が増えている。野球やサッカーでその流れは顕著であり、より高いレベルでのプレーを目指す若者たちは、「スポーツ」という共通言語で言葉の壁を乗り越え、新しいステージに踏み出している。
「スポーツも音楽もそうですが、日本ではジュニア年代から一生懸命取り組んでいるので、レベルは高い。言葉が多少できなくても、世界とつながれる強力な武器を持っている」と根本代表。自分の可能性を信じて新たな世界に飛び込んでいく。そんな若者の突破力がアスリートの姿から見えてくる。
バナー写真:入団後、マーリンズの本拠地球場に試合観戦に訪れ、クレイトン・マッカラー監督(右)と写真に納まる佐々木麟太郎内野手=2026年7月24日、米国・マイアミ(時事)