同じ精神世界を共有する日本とリトアニア

北から、エストニア、ラトビア、リトアニアと並ぶバルト海沿岸の三国は、中世のころから周辺強国の脅威にさらされ続け、特に北方の大国ロシアには北西の辺境と見なされて過酷な支配を受けてきた。

ご存じのように、日本がロシアを打ち負かした日露戦争(1904~05年)は世界に衝撃を与えた。とりわけ、欧米の植民地や属国状態に置かれたアジア、アフリカ諸国の民族意識に火を付けた。実はバルト三国も日本の勝利に沸き、若者たちはロシアからの独立の夢を、東方の小国日本の奮闘に重ねたのである。

当時、サンクトペテルブルクに留学中だったリトアニアの若者ステポナス・カイリース(1879~1964年)も、日露戦争に驚喜し、勝者となったヤポーニア(日本)に魅了された。彼は自国の人々に、ロシア帝国を打ち負かした日本という国を知らせるため、あらゆる資料を集めてリトアニア語で本を書いた。それが、リトアニア初の日本論であり、彼が紹介した明治憲法や自由民権運動、教育システムは、少なからずリトアニアの独立運動に影響を与えたと言われている。カイリースらが参加した独立運動の結果、1918年にリトアニア共和国が成立した。

だが40年にソ連がバルト三国を併合、翌年にはナチスドイツが侵攻し、リトアニア共和国は22年しか持たなかった。第2次大戦後バルト三国はソ連邦に編入され、91年までソ連の属国として甘んじてきた。そんなバルト三国も独立を回復し、今ではEUに加盟してすっかりあか抜け、経済も上向きになっている。

このように、20世紀初頭から続く日本への憧憬(しょうけい)、アメニズムに基づく自然崇拝という共通の精神世界がベースにあるせいか、リトアニアは昔から親日国家だ。日本の武士道を尊ぶリトアニア人は、桜に代表される大和魂という美学もよく理解してくれる。2003年に初めてバルト三国を訪れた時、独立回復を記念する多くの記念館を回った私は、どこでも民族のアイデンティティーを大切にしてきた情熱と努力があふれていることに感動し、ふと台湾のことを思い出した。そして何度か訪れるうちに、1918年のリトアニア共和国建国に携わったカイリースを知ることになり、私はその評伝まで書いた。