杉原千畝がカウナスに桜を呼ぶ
日本とリトアニアを結ぶもう一つの絆は、第2次世界大戦中、ドイツとロシアの情勢を探る目的で開設された日本領事館に赴任してきた外交官・杉原千畝(1900~86年)の存在だ。在任中、ポーランド系ユダヤ人に日本の通過ビザを発行して約6000人の命を助けることになり、85年にはイスラエル政府から勲章が授与され「諸国民の中の正義の人」としてたたえられた。彼が外務省の意向に反してまで、いわゆる“命のビザ”を出し続けたのは人道上の理由がもちろんあったろう。しかし、高度な機密情報収集の過程で、ポーランド政府の要請に応じたという説もあり、現在も学者の研究対象になっている。
杉原がかつて勤務していた日本領事館は現在記念館になり、日本人や世界各地のユダヤ人が見学に訪れている。地元ではスギハラハウスの名前で親しまれているこの建物は、市の中心地から離れた丘の上の閑静な住宅街にある。こうした場所にあえて領事館を造ったのは、諜報活動を隠す目的があったそうだ。
館内には杉原の執務室が再現され、当時の世界情勢や脱出したユダヤ人たちの生々しい証言を集めて展示してある。この記念館だけでなく、彼がベルリンへと旅立つ間際までビザにサインをし続けたカウナス駅や、一家で滞在していたホテルまでが観光ルートになっているのだが、そこへ桜が植わった中州の友好公園も加わるのだろう。
日本と杉原を象徴するかのような桜の公園は、首都のビリニュスにもある。杉原の母校である早稲田大学の校友会が桜を寄贈したのが、「カウナス市こそがスギハラの活動の場であり生活の場だった」という市側と、記念館のあるカウナスにも桜を!という日本側の思いが重なり、冒頭で紹介したような植樹式につながった。
今後、カウナスの人々は春が来るたびに満開の桜の下に集うのだろう。百年以上前に、はるか遠いヤポーニアまで想像の翼に乗ってやってきて、日本論を著したステポナス・カイリースの魂も、桜の花の下へやって来るかもしれない。
台湾の成功例に学び、「桜守」のような市民ボランティアや樹木医を育て、末永くヤポーニアとの友好を育ててほしいと願わずにはいられない。みなさんも機会あれば春のリトアニアを訪れて、お花見を楽しんでいただきたい。
バナー写真=リトアニア・カウナスで行われた桜の植樹式(大谷光弘氏撮影)
